失敗のパターン

ある日、ふと、自分の大学受験のことを思い返したので、書いてみます。



大学受験の思い出

私の大学受験の結果は散々だった。いくつも大学をうけたけれど、ことごとく落ちた。受かったのは私立大学1校だけ。浪人しようか考えたけど、親の反応を見てやめた。


受験勉強はそれなりにした。元々勉強をしないタイプだったので、家で勉強をすることに慣れるまでとても時間がかかった。初めて家でまともに勉強をしたのは、高校2年生の冬の定期テストだった。それまでは家で勉強をすることなんてほとんどなかった。中学は塾に通っていたので塾で勉強をしていたけれど、高校に入る段階で辞めたので、高校生の私は全く勉強をしない人間になっていた。


学校の成績はもちろん悪かった。1年生の終わりごろ、数学の実力テストで5点を取った(100点満点のテストではなく200点満点のテスト)。理系志望なのに、文系志望の同級生よりも数学の成績が悪かった。でも、特に気にしていなかった。「成績をよくするために勉強しよう」なんて考えなかった。その時期は部活のことしか考えていなくて、勉強なんてどうでもよかった。テストの点数に興味がなかった。


しかし、高校2年生の秋に、ある考えがよぎった。「このまま勉強しないでいいのだろうか?」


一応大学進学を目指していたので、受験をしなければいけない。このままで大丈夫なのだろうか?これまで勉強してこなかったけれど、真面目に勉強したとしても良い点は取れるのだろうか?


勉強に対して真面目に向き合ったことがなかったので、一度真剣に勉強してみようと思った。目標を「冬の定期テストで良い点を取る」ことに設定した。


とはいえ、これまで家で勉強してこなかったので、勉強を始めるまでに時間がかかった。初めはすべての科目を勉強して定期テストで良い点を取ろうと考えたが、甘かった。まったく手につかない、集中できない、何をすればいいのかもわからない。


「理系なので、数学だけは何とかしないと…」と思って、全科目の勉強はあきらめて、数学だけを勉強した(数学だけは勉強できた)。




定期テストの結果はまずまずだった。これまでの自分の成績からすると、かなり良い点が取れた。「勉強すれば良い点がとれる」という成功体験になった。これを糧にして、大学受験に向けて勉強していこうという気持ちになった。


でも、行動に結びつかなかった。相変わらず、勉強しない日が続いた。


春休みに入る…高校3年生に進級する…高校総体が終わり部活を引退する…夏休みに入る…、勉強しなければいけないという気持ちだけはあったけれど、勉強しなかった(勉強できなかった)。


そして、高校3年生の秋ごろ突然やる気スイッチが入った。突然勉強できるようになった。
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理由はわからないけれど、とにかく勉強するようになった(勉強できるようになった)。休日はそれほど勉強できなかったけれど、平日は勉強しかしない生活になった。


朝起きて学校へ行って勉強して、家へ帰って勉強して寝る。テレビは見ない、携帯電話はさわらない、ゲームはしない、マンガは読まない、教科書と参考書を読んで問題集を解く。平日はこんな生活だった。センター試験本番までこんな生活を続けた。この期間(およそ3か月間)は、自分の人生の中で最も努力した期間だったと思う。




センター試験は予想通りの点数だった。このままいけば志望校に受かるだろうという気持ちだった。


しかし、ここから勉強しなくなった(勉強できなくなった)。


大学の入試問題を見ても、何が何だかわからない。解けない。どうやって勉強すればいいのかわからなくなってしまい、勉強が手につかなくなった。


センター試験が終わると学校の授業は補講だけになり、卒業までほぼ休日のような状態になるので、学校へ行く機会も減った。これも、私を勉強から遠ざけることに拍車をかけた。


そして、落ちた。ことごとく、落ちた。志望校は全然ダメだった。ありがたいことに私立大学に1校受かったので、浪人をせずに進学した。浪人したい気持ちもあったけれど、親の反応を見てやめた。


これが私の大学受験の思い出です。どこにでもある、よくある思い出です。そして私が本当に書きたいことはここからです。なぜ大学に落ちたのか?


失敗の理由

私が大学受験の思い出を書いたのは、この「失敗の理由」について書きたかったからです。そして、私がこれまで考えることをしていなかった(考えることを避けていた)テーマを真剣に考えようと思ったからでもあります。このことに向き合って、自分の人生について改めて考えてみたいと思いました。


私が大学受験で失敗した理由は「助けを求めなかった」からです。これが失敗の理由です。


私は勉強が手につかないことを誰にも言いませんでした。問題が理解できないこと、解答が理解できないこと、どうやって勉強すればいいかわからないこと、疑問に思うことを誰にも言いませんでしたし、言えませんでした。先生・親・友達の誰にも相談しませんでした。


私が思うに、これがすべての理由です。「人に相談できない」


おそらく、私はこれまでも同じ理由で失敗してきました。そして、これからも同じ理由で失敗すると思います。だからこそ、今ここに書いておきたいと思いました。この失敗のパターンから抜け出すことができれば、私の人生を少しずつ改善していけると考えたからです。


人が何かに失敗するときはパターンがある。これは個人差があって、その人の思考のクセや行動のクセが原因になっている。私の場合「困ったことがおきても人に相談しないで自分で解決する」というルールがある。この考え方が私の失敗するパターンになっている。


「自分で解決する」というのは立派です。安易に人に頼らないので、自立しやすくなります。成長しやすくなります。しかし、行き過ぎると独りよがりになって自滅してしまいます。


私は、勉強ができなかった=学力が低かった=偏差値が低かったから=試験の点数が低かったから大学受験で失敗しました。しかし、誰かに助けを求めていれば違った結果になったかもしれません。先生にわからない問題を聞きに行く、親と相談して塾に通わせてもらったり家庭教師をつけてもらう、友達にどうやって勉強しているのかを聞く、この中の1つでも実行していれば、結果が変わった可能性があります。


もちろん「そんなことをしても結果は変わらなかった」可能性もあります。しかし、実行していたほうが成功確率は上がりました。間違いなく上がりました。やらないよりも、やるほうが圧倒的に良いです。結果が変わらなかった可能性は十分にありますが、「実行しないより実行したほうがよかった」のは間違いないです。


なぜ実行できなかったのか。これは私が「人に相談できない」性格だからです。この行動をし続けている限り、将来もこのパターンで失敗し続けることが予測できます。


問題なのは大学受験に落ちたことではなく、大学受験に受かるための行動を自分で制限してしまっていたことです。これは勉強に限らず、人生の様々な場面で影響します。


この行動パターンを変えるのは簡単ではありません。この行動パターンは、幼いころからの生活習慣で出来上がったものであり、これまでの人生で育まれてきたものだからです。一朝一夕では変わりません。


でも、私はこれを変えたい。この行動パターンを変えなければ同じ失敗を繰り返してしまうからです。同じ失敗を繰り返すのは嫌です。小さな変化でいいから少しずつ変えていきたい。同じ失敗を減らしたい。改善したい。困ったときに誰かに助けを求められるような性格になりたい。


この「改善したほうが良い行動パターン」は、誰しも持っているのではないでしょうか。


ついつい物を買ってしまう、食べ過ぎてしまう、いらないことを言ってしまう、極端なネガティブ・ポジティブ思考、計画性がない、人の話を聞かない、すぐに怒ってしまうなどなど…。


日常生活に支障をきたしていなければ問題ないと思いますが、人生に大きく影響を及ぼす場面(進学・就職・結婚・転職など)でこの行動パターンが発生すると、人生を悪い方向へ導いていってしまう可能性があります。これはとても好ましくありません。


私はこれまでの人生で「人に相談しなかった」ことが、人生に大きな影響を与えている可能性が高いことに気づきました。

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今更気づいたの?と呆れてしまうかもしれません。確かにその通りだと思います。


私は、「本当は気づいていたけど気づかないふりをしていた」のだと思います。この行動パターンが人生に悪影響を与えていても、知らんぷりしていました。なぜなら、これを改善することはとても大変なことだからです。自分の性格の欠点を変える努力は、精神的に厳しいです。自分を否定することになるからです。高確率で心が傷つきます。


でも、今の私はこのことに向き合うべきだと思いました。この行動パターンを改善しようとしない限り、今の現状から脱することはできないと思いました。なので、少しでも改善の役に立つように、戒めのために、この記事を書きました。


20年以上もこの行動パターンで生きてきたので、改善するのはとても難しいと思います。改善するのに20年以上かかるかもしれませんし、一生改善しないかもしれません。でも、改善しようという心がけを忘れないようにしたいです。心が傷つく覚悟で自分の欠点と向き合っていこうと思います。


こんな独りよがりな文章を読んでいただいてありがとうございました。ブログの更新がしばらく止まっていましたが、私は元気です。

忙しい人のための「ゲンロン0 観光客の哲学」東浩紀

分量の多いゲンロン0を勝手にまとめました。



はじめに

この書物はすべてぼくが書きました。

この書物は誤配の産物である。



第1部 観光客の哲学

第1章 観光

古代ギリシア以来、新しいものなどいっさいないのが哲学というものである。

「まじめかふまじめかわからないテロリスト」(21世紀のテロリスト)をより正確に表象することができるのは、政治ではなく文学。



付論 二次創作

ひとは、気に入った投稿を素朴に「いいね!」するわけではなく、「いいね!」をつけると他人からの評判が上がるものに対してこそ、積極的に「いいね!」をつけていく。

観光客=現実の二次創作者



第2章 政治と外部

ルソーは人間が嫌い

カントは巨大

ハンナ・アーレントハイデガーの愛人


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図1.相関図


第3章 二層構造

国家⇔市民社会
政治⇔経済
思考⇔欲望
ナショナリズムグローバリズム

マルチチュードが集まり声を上げれば(デモなどすれば)あとはなんとかなるという信じる力で世の中変わるのか?



第4章 郵便的マルチチュード

自由だが孤独な誇りなき個人(動物)か、仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)かの2択しかない時代

マルチチュードが郵便化すると観光客になる。観光客が否定神学化するとマルチチュードになる。

観光客=郵便的マルチチュード

「人間の条件」⇔その外部
政治⇔その外部
国民国家⇔帝国
規律訓練⇔生権力
正規分布⇔べき乗分布
コミュニタリアンリバタリアン
スモールワールド⇔スケールフリー
これらは同時に生成される

誤配をスケールフリーの秩序から奪い返すことが、グローバリズムの抵抗の基礎だと考える。



第2部 家族の哲学(序論)

第5章 家族

政治を動かすのは、お祭りではなく日常。動員ではなくアイデンティティ

自由意志に基づいた連帯は自由意志に基づきたやすく解消される。

世間では「子どもは親を選べない」と言ったりするが、それは哲学的には不正確である。ほんとうの意味で「選べない」、すなわち偶然性に曝されているのは、むしろ親のほうである。

ある親からある子どもが生まれることには、じつはなんの必然性もない。みな親から見れば偶然なのだ。

すべての家族は本質的に偶然の家族である。言い換えれば、家族とは、子の偶然性に支えられたじつに危うい集団なのである。

だれが家族でだれが家族でないかは、ときに私的な情愛により決められる。

一緒に住み、「同じ釜の飯」を食えば、生と生殖がなくとも家族とみなされる。

たまたま孤児に出会いかわいそうに思ったから養子にする、その柔軟性は、家族がまさに、「憐み」に開かれていることを意味している。

偶然に基づいた家族は、偶然に基づき拡張できる。

現代人は会ったことのない大叔父よりも、飼っている犬のほうを家族だとみなすかもしれない。

家族のメンバーシップは私的な情愛だけで支えることが可能なので、ときに種の壁すら越えてしまう。それは憐みが引き起こした誤配である。

憐れみ=誤配が種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである。



第6章 不気味なもの

ハッカーたちは、資本主義の本質を否定しないまま、反資本主義的な理想をナイーブに語ることができた。言い換えれば、生々しい富への欲望を抱いたまま、無欲な共産主義者であるかのようにふるまうことができた。オープン、シェア、フリーなど、反資本主義的なバズワードを生みだすアメリカ人は同時に多くが億万長者だが、彼らがその矛盾に苦しんでいるようすはない。

サイバースペースとは最初からアメリカの別名にすぎなかった。

不気味さの本質は、親しく熟知しているはずのものが突然疎遠な恐怖の対象に変わる、その逆転のメカニズムにある。

本アカと裏アカの区別はしばしば失効する。

いまやかつてイデオロギーがあった場所はコンピュータに占められ、コンピュータの秩序はかつてのイデオロギー以上にぼくたちを支配している。



第7章ドストエフスキーの最後の主体

社会改革の理想に燃えた人間が、過激な運動を経ていつのまにかニヒリストになってしまう。

リベラリズムの偽善を乗り越え、ナショナリズムの快楽の罠を逃れたあと、グローバリズムニヒリズムから身を引きはがし、ぼくたちは最終的に、子どもたちに囲まれた不能の主体に到達するのだ。それこそが観光客の主体である。

世界は子どもたちが変えてくれる。

子どもとは不気味なもののことである。

親とは誤配を起こすこと、偶然の子どもに囲まれること。

子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。





A Philosophy of the Tourist



Part1 A Philosopy of the Tourist

Chapter One: Tourism

Tourism is phenomenon of modernity.


Supplement: Secondary Derivative Works

We might say that the tourist makes secondary derivative works out of reality itself.


Chapter Two: Politics and Its Other

We need a new philosophy.


Chapter Three: Stratified World

We might say that this is also the stratification between the sphere of humans and animals, or communitarianism and libertarianism. The concept of the tourist is conceived of as new subject who is able to move between these two strata freely.


Chapter Four: Toward a Postal Multitude

Human society mathmatically contains both small-worldness and scale-feeness.

Without misdelivery or pity we have no society, no solidarity.


Part2 A Philosophy of the Famiry: Introduction

Chapter Five: Family

The sense of family sometimes extends beyond the boundaries of species.


Chapter Six: The Uncanny

The subject of an information society should not be described as an avatar in cyberspace but as that being ensconced in the uncanny.


Chapter Seven: Dostoevsky's Final Subject

To Overcome both the individual and the nation, we must stand in the position of a parent within interwined communications of misdelivery and family resemblance. That is the experience of the tourist.



ゲームプランナー集中講座 ゲーム作りはテンポが9割(SBクリエイティブ)吉沢 秀雄

とても参考になる本でした。


引用と感想

 アイデアを考えた時は、そのアイデアをプレイしている時のことを頭の中に思い浮かべて検証するわけですが、この時重要なのは「動画で考える」ってことです。(略)自分が遊んでいるとどんな気持ちになるのかを想像するのです。この脳内シミュレーションをずっと続けていると、ある時、「おっ!」と思って心が動く瞬間が訪れるのです。

 このように言葉でなく、位置や配置などでメッセージを伝えることが重要です。言葉で伝えた場合、それはそれ実行するだけの「作業」になってしまいます。しかし仕様で伝えた場合は、プレイヤーが自分で気づいて解いた気分が味わえるので数段達成感や満足感が高まるのです。

 他のゲームとは違ったテンポに惹かれて遊び続けたプレイヤーも、次第にそのテンポに慣れてしまい、新鮮さを失って飽きてしまうのです。そうならないために、今まで遊んで身に着けてきたプレイ技術はそのままに、しかしテンポの違う遊び方を提示するのです。すると今までのプレイでマンネリになっていた遊びが、再び息を吹き返し、新鮮さを取り戻すのです。

 せっかく一から新しくゲームを創るのですから、すでに存在するゲームの亜流とかではなくて、まだ存在しないもの、体験したことのないこと、見たことのないもの、味わったことのないおもしろさ、感じたことのない触感を探し求めてほしいですね。
 前にも述べましたが、100%新しいものという意味ではないですよ。何とか新しさが入れられないか、何とか違った切り口にできないか、違った感触でやれないか、を追い求めていくのを続けようということです。常に自分が創るものが人にどんな未知の体験を提供しているのかを意識してください。

 この世に同じものはふたついらない。この世にないものを創ろう


どうやってゲームを創ればいいのかがよくわかる本でした。


タイトルにも入っている通り、ゲーム作りはテンポが9割だと著者は述べています。本の中でも、「テンポ」という言葉がことあるごとにでてきます。とにかくテンポが重要で、テンポを基準にしてゲームは作らなければいけないと言っています。


どのようにテンポを作るのか、どのようにテンポをよくするのか、どのようにテンポを相手に伝えるのか…テンポについて多くの記述があり、とても勉強になりました。



最後に


ゲームを作りたいと考えている方は、この本はとても参考になり、モチベーションを上げる材料にもなると思いました。おすすめです。


個人的 朝井リョウ小説ランキング

朝井リョウ氏の小説を勝手に順位付けしました。

1位 何者

現代の大学生の就活を描いた直木賞受賞作品です。1番好きです。

だから、俺は絶対に言ってやらない。

2位 もういちど生まれる

5人の若者を描いた短編集です。個人的にかなり好きな作品でした。気持ちはすれ違うものですよね。

もういちど生まれたみたいだった

3位 スペードの3

女性の意地悪さとそれに伴う社会的評価を描いた作品でした。黒い感情が渦巻く女性の人間関係は恐ろしいですね。

これは呪いだ。

4位 星やどりの声

父親を亡くした7人家族の話です。家族愛がひしひしと伝わってきて、心を揺さぶられました。

その人に消火器とか向けだしてホントもう意味わかんない

5位 世界地図の下書き

施設で暮らす子供たちの話です。この話はいじめがテーマになっていて、読んでいてつらくなるシーンが多くありました。現実と希望について考えさせられる作品でした。アニメ化されたらいいなと勝手に思いました。坪田譲治文学賞受賞作品です。

ユーレイみたいなんよ

6位 武道館

アイドルの恋愛を描いた作品です。アイドルの内情を描いていて面白かったですが、実際のアイドルはもっとドロドロしていて複雑だと思います。

私は、何も変わっていないんです

7位 ままならないから私とあなた

ままならない人間を描いた作品です。感情を揺さぶられるストーリーで楽しめましたが、内容はそこまで深くないかなと感じました。

今の世界にずっといられるかどうかなんて、誰にもわかんない

8位 チア男子!!

チアリーディングをする男子大学生の物語です。この本を読むまで、男性がチアリーディングをする文化があることを知りませんでした。「男子チアリーディング」という題材で作品を書くのはとても大変だったと思います。キラキラした青春ものが好きな方にオススメです。

世界で一番美しい形で土下座をしていた。

9位 桐島、部活やめるってよ

よくわからない…。文学って感じ?カーテンの描写が印象に残りました。すばる新人賞受賞作品です。

10位 少女は卒業しない

どこもかしこもリア充ばかり。全然面白くありませんでした。7名の少女の恋愛物語を描いた短編集なのですが、私には合いませんでした。女性が読むと面白いのかもしれません。

返したら、もう、終わりなんですよね

番外編 時をかけるゆとり

著者のエッセイ集です。面白いです。リア充です。

エンジョイ♪




新しい作品を読み終わり次第追加していきます。

なぜ人はゲームにハマるのか(SBクリエイティブ)渡辺 修司 中村 彰憲

引用と感想

ゲームの定義は技術によって変化する。

ゲームを定義することは難しいことのようです。さやわか氏は著作「僕たちのゲーム史」の中で、ゲームとは「ボタンを押すと反応するもの」という定義をしていました。これも、必ずしも正しい定義ではないのかもしれません。ボタンを押さないでも反応するゲームはありますからね。技術によって変化するという定義が正しいのかもしれません。

ゼビウス」によって世界観とストーリーを設定することが主流になった。

ゼビウスはプレイしたことがないので詳しくはわかりませんが、世界観とストーリーはゲームを盛り上げる要素として重要だと思います。

サイトウ・アキヒロにより、ユーザーインターフェイスに関するノウハウは体系化された。これはゲームニクスと呼ばれている。

ゲームニクスという言葉を初めて知りました。最近のゲームはゲームニクスに基づいて作られているものが多いようです。

三人称視点は、ゲームで身体の役割をするキャラクター(拡張身体)から考えても、明らかに別の位置から見る視点でである。しかし私たちの脳は、その視点を習得することができる。これは「脳による視点の再学習」と言える。

この本で一番興味深かったのが拡張身体という概念です。マリオであっても、テトリスであっても、”自分の身体をゲーム上の対象物に拡張させて動かしている”らしいです。

ゲームを作る行為は、「現実世界とはまったく異なる世界を新たに作り出す」ことではなく、現実世界の人間の身体の特性、また世界や作用空間の特性との相互関係を理解し、その理解を基盤として、プレーヤーにとって分かりやすい形に抽象化された身体や世界を提供すること。

これは意外でした。現実世界と異なる空間を作り出すものだと思っていましたが、違うようですね。

人は少しだけ難易度が高い方向を目指す

ゲーム制作において難易度バランス調整は最終段階に行うが、難易度バランスをどのように提供するかは、ゲーム企画そのものに直結する重要な要素である。

ゲームは、ゲームデザイナーが想定しない効率予測を、プレイヤーが発見する可能性を常に帯びている。

TASのfastest crashやマリオのロースコアクリアなどの縛りプレイがまさにそうですね。



最後に

勉強になる本でした。「ラピッドリバー」という川下りゲームが本の中に出てきて、小さいころゲームセンターで見かけた記憶がよみがえりました。(゚∀゚)



本の追加解説ページ
online.sbcr.jp
















ブログ訪問ありがとうございます(=゚ω゚)ノ