「反省させると犯罪者になります」岡本茂樹

とてもキャッチーなタイトルなので、中身が薄い本なのではないかと思われそうですが、全く違います。



この本は、安易に犯罪者に反省させることの危険性を説いた本です。



皆さんは、犯罪者に対して謝罪を要求すると思います。殺人、窃盗、薬物、性犯罪などの犯罪者に反省を求めると思います。反省して、再犯を犯さないような人生を全うしてほしいと思っているはずです。



しかし、犯罪者に対して即座に反省を求めると「世間向けの偽善」だけを身につけて、反省しないまま再犯を犯します。



人は犯罪を犯したとき、自分のことを考えます。被害者のことを真っ先に考える人はいません。犯罪を犯した直後に反省を促しても、意味がありません。


本当に反省させるには、まず不満を語らせる必要があリます。不満を語るなかで、自分自身にどういった内面の問題があるのかが少しずつ見えてきます。本音を語らない限り、受刑者は自分の内面と向き合うことはできません。

喫煙してしまった子どもがそのときに抱いている悩みは、喫煙する友達も持っているのです。共感し合える部分があるからこそ、たとえ他社から見れば悪い仲間であっても、その仲間と付き合うのです。人は、自分のことを理解してくれる人を、常に求めています。こう考えると、喫煙したからといって、すぐに反省を求める姿勢はあらためないといけないことがよく分かるのではないでしょうか。

言いたいことは、罰を与える前に、問題行動は「必要行動」と捉え直しする視点を持って、「手厚いケア」をしてほしいということです。ただ反省させるだけの方法は、最悪の場合、犯罪者になるということです。少なくとも、問題行動が起きた直後の「反省文」はまったく意味がありません。意味がないどころか、さらに抑圧を強めて、大きな犯罪行為に至るリスクを高めます。

受刑者が苦しむのは当然のことです。しかし、社会に出てから再犯する可能性が高まります。自己イメージが低い人は孤立するからです。孤立こそ、再犯を犯す最大のリスクになります。「孤立」「ヤケクソ」がセットになると、大きな事件が起こることは過去の数々の重大事件が証明しています。

幼少期に母親から虐待を受けていた非行少年の場合を考えてみてください。虐待していた母親の立場になって、母親の気持ちを考えさせることは、少年に非常に酷なことを要求していることになります。反省文が書ける条件は、少年が母親に対する否定的感情を十分に外に出すことです。抑圧していた感情を吐き出すことによって、はじめて相手の立場というものを考えられるのです。

「人に迷惑をかけないこと」が当たり前だと思っている人は、「人に迷惑をかけられる人(=人に甘えられる人)」を見ると、腹が立ってくるのです。自分の中に、正しいと思って刷り込まれた価値観が多ければ多いほど、他社に対して「許せない部分」が増えていきます。そうすると他者との間で良い人間関係が築けないどころか、いじめにまで発展していく場合があるのです。

私たちは、「親に感謝しないといけない」と言われて育っています。しかし、言い方は悪いですが、普通に日常生活を送っている私たちでさえ、親から「迷惑をかけられていること」があるのです。すでに述べた例ですが、「我慢しなさい」「一人で頑張りなさい(人に甘えてはいけません)」や「弱音を吐いてはいけない」といった価値観は、私たちに生き辛さをもたらす場合があるのです。

「親には問題がない」と考えている生徒や学生もいます。そのように答える者に対しては、言葉どおり受け止めるのは早計です。「本当にそうですか。親との間で、君はこれまで我慢していたり寂しい思いをしていたりしたことはないかな」などと本人も気づいていない視点を与える質問をしたいものです。問題行動の背景には、親に対する葛藤があったり親に素直な自分を出せなくなったりした理由があるものです。そうした側面への気づきを促すことが、問題行動が起きたときの支援なのです。


とても衝撃的な内容でした。



不満を抱えたままでは再犯を繰り返す。反省は偽善を強要するだけ。私は、この主張は正しいと思います。精神的な歪みは、曲がった行動を起こすと思います。歪みをなおさないかぎり問題行動もなおらないと思います。


ただ、数字で示したデータがなかったので、著者の方法論にどれくらい効果があるのかがわかりませんでした。正確な数値が出せればもっと根拠のある良い本になっていたと思います。





私のひきこもり行動も、何かしらの精神的な歪みが原因かもしれません。歪みを外に出すタイプは犯罪者となり、内に秘めるタイプはひきこもりになるのかもしれません。



外に出すタイプも内に秘めるタイプも、社会から見ると損失です。精神的な歪みは、社会にとってマイナスになります。マイナス要因を無くす仕組みを、社会はつくる義務があると思います。



私は犯罪者に対してとても嫌なイメージを持っています。おそらく、同じように、社会はひきこもりに対して嫌なイメージを持っていると思います。当事者にとってのひきこもりと、社会から見たひきこもりは隔たりがあると私は思っています。恐らく、犯罪者もそうなのだろうと思います。



だから、私は、犯罪者の存在を肯定したいと思います。



社会にとってマイナスの人間であるけれども、存在を肯定するべきだと思います。



これは、私がひきこもりやニートに対して思っていることと同じです。私は、本質的にはひきこもりやニートと犯罪者は同じだと思っています。



【精神的な歪みが抑えきれず、歪みが表面化した存在】だと思っています。



この歪みは自力で治療できる人もいますが、多くの人は助けが必要だと思います。社会が治療の手を差し伸べる必要があると思います。



犯罪者だけでなく、ニートやひきこもりも治療してくれる社会であってほしいです。






著者の岡本茂樹氏は2015年に亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。



「反省させると犯罪者になります」(新潮新書)岡本茂樹