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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その7

 他人が自分の権理を侵害するのが嫌ならば、自分もまた他人の権理を侵害してはならない。自分が楽しいと思うことは、他人もまたそれを楽しいと思うのだから、他人の楽しみを奪って、自分の楽しみを増すようなことはしてはいけない。他人の物を盗んで、自分の財産としてはいけない。人を殺してはいけない。人を中傷してはいけない。国法を正しく守って、万人平等の大義にしたがわなくてはならない。

90,91p


なんだか、小学校で先生から言われるような話に聞こえました。これは道徳で習う内容ですね。


以前テレビで、道徳教育のジレンマなるものの話を聞きました。道徳教育を熱心に教えれば教えるほど、教えている先生自身がそれを守れていないという矛盾が発生するというものです。


私は、道徳教育を教える先生が道徳を完璧に守れている必要はないと思います。自分でできることと、人に教えることは違うことだと考えているからです。スポーツの世界で、名プレイヤーは必ずしも名指導者にはならないという話と近いです。


基本的に人間は矛盾している生き物だと思うので、言っていることとやっていることが矛盾していてもかまわないと思います。その人の人望がなくなるだけで、他人に迷惑をかけているわけではないので。


どんな道徳が自分にとって大切なのかは、自分自身で勝手に考えればいいと思っています。生活しているうちに自然と身につけばいいのではないでしょうか。



 いまここに、一群の賊が来て、人の家に乱入することがあったとき、政府がこれを見て、これを制することができなければ、政府もまたこの賊の仲間といってよい。
 
93p


賊を抑えられない政府は、賊の仲間だそうです。




 たとえば、役人の不行き届きで、国内の人かあるいは外国の人に損害を与え、三万円の賠償金を払うことがあったとしよう。政府には、そもそも金があるわけではないから、その賠償金の出処は必ず人民になる。この三万円を日本国中およそ三千万の人間で割ると、一人当たり十文。役人の不行き届きが十回繰り返されると、人民一人当たりの出金は百文になり、家族が五人いれば五百文になる。
 田舎の小百姓に五百文のお金があれば、家族で一緒にそれなりのご馳走を食べて一晩愉快に過ごせるはずなのに、ただ役人の不行き届きのおかけで、全国の罪のない庶民の楽しみが奪われてしまうのは、実に気の毒の至りである。

94p


そういえば、国政選挙って数百億円かかるんですよね。仮に国政選挙をしないで国民に配れば、一人当たり数百円手に入りますね。だからなんだという話ですが…。


政府にお金はないですけれど、一応お札を刷ればお金を増やせるので、お金を生み出す役割を担っていることになります。お金の出処を完全に人民だとするのは間違っているのではないでしょうか。






というかそんなことよりベーシックインカム下さい、お願いします。m(_ _)m


最近労働拒否感情が高まってきてます…。働きたくない…。働きたくない…。働きたくない…。


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