「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その12

 生計を立てるのが困難である、とは言っても、よくよく一家のことを考えれば、早く金を稼いで小さなところで満足するよりも、苦労して倹約し、大成するときを待ったほうがよいのだ。
 学問をするならおおいに学問をするべきである。農民ならば、大農民になれ。商人なら、大商人になれ。学者ならば、小さな生活の安定に満足するな。粗末な着物、粗末な食べ物、暑い寒いを気にせず、米も搗くのがよい、薪も割るのがよい。学問は米を搗きながらでもできる。人間の食べ物は、西洋料理には限らない。麦飯を食って、味噌汁をすすって、文明の事を学ぶべきである。

137,138p


今の大学の先生はこういう貧しい生活を強いられていますね。非常勤講師の給料はとても低く、講師になれるかどうかもわからない。


ツイッターで、ハイスペック人材が低賃金・1年契約で雇われているツイートが流れてきました。


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こんな人材日本に何人いるのでしょうか?お金持ちのご息女が趣味感覚で労働するための求人に見えます。少なくとも中流階級の家庭で育った人間が就職するような求人ではないですね。修士修了して外国語を2ヶ国使えるようになったのにこの待遇って…どうかしてる…。



 あるいは、まれに正直な役人がいて、彼は賄賂をとらないという話であれば、前代未聞の名臣として国中の評判になるけれども、これだって実際はただ金を盗まないというだけのことである。人が盗み心を起こさないからといって、別にそれほどほめるに値するようなことでもない。ただ、ニセ君子がたくさんいる中で、人並みの人間がまじっているので、特別目立つまでのこと。
 結局、このようなニセ君子が多いのも、その原因を考えれば、古人が、「世の中の人間は、みな人がよくてコントロールしやすいもの」と思い込んだ妄想によるものである。その害がついに専制政治による人民抑圧となり、つまるところは、飼い犬に手を噛まれるということになったのだ。
 かえすがえすも、世の中で頼りにならないものといったら「名分」である。大きな毒を流すのは専制であり抑圧である。恐るべきことである。

146,147p


「世の中の人間は、コントロールしやすい」と電通の人が言っていたという話をネットで見ました。そう思っているエリートは多いのかもしれません。



ニセ君子かぁ…人を不幸にして金儲けしている人間は問題だと思いますが、人を不幸にしないで金儲けするのも難しいのでは?とも思います。誰かが利益を得るためには、誰かの利益が無くなるのが基本だと思っています。ゼロサムゲーム


人を幸せにする科学があれば、ゼロサムゲームではないのかもしれません。他にも、精神的な充足感を得られるものがあれば、それはゼロサムゲームではないのかもしれません。


そうなると…幸福の科学は…?…ゼロサムゲームではない…?…ニセ君子ではない…?…




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