「文明としての江戸システム」(講談社学術文庫)鬼頭宏

気になったところを勝手にまとめます。

  • 近世の統治制度を特徴づける反駁体制は、全国的な市場経済のネットワークの存在を前提にして成り立つ制度でもあった。
  • 徳川文明、あるいは文明としての江戸システムは、湿潤な温帯の緑豊かな列島に展開した、土地に依存した物質文明である。
  • 海外との物品の交易、情報の流入に全く窓を閉ざしたのではなかったが、資源・食料・エネルギーはほとんど鎖国状態にあった。
  • 江戸時代農村の平均的な最終出産年齢は40歳前後。
  • 江戸時代の農村女性にとって、妊娠・出産は危険なものだった。
  • 湯船沢村では再婚は普通のことだった。(男3割、女4割)
  • 江戸時代前期は「結婚の一般化」「城下町の建設による労働需要の増大」によって出生率が上昇した。
  • 市場が経済成長を促し、経済成長が人口増加を可能にするとともに、持続的な人口増加は経済成長を支えた。
  • 保有石高の多い上層農民は無石や保有石高の少ない下層農民より、どの年齢階層でも女性の出生率は高かった。
  • 意図的な出生抑制が江戸時代中期の出生率低下の理由として重要な役割を果たしたと考えられる。
  • 間引きや子返しと称して、堕胎であるとか、生まれたばかりの子供を嬰児殺しがおこなわれたと想像するにかたくない。
  • マビキという言葉は作物の苗の管理について用いられるように、出生間隔を拡げるようなかたちで子供数を調節することを意味していた。
  • 江戸時代後期は晩婚化が進み、初婚年齢が平均して3年程度高くなった。
  • 出生率の低下と晩婚化は、燃料・肥料・用水などの制約、幼児の生存立の向上によって起きた。
  • 江戸文明が生活を維持するための物資の多くを土地に依存する農業社会、あるいは「高度有機エネルギー経済」社会である以上、その人口支持力はそれほど大きくはなかった。
  • 日本は、ヨーロッパの大都市とはまったくちがって、緑豊かな庭園都市であった。
  • 工業化以前の日本各地の里山の景観を復元した小椋純一氏によれば、山地には高木林があまりみられず、一般に低木か、なかには植生がほとんどないはげ山も少なくなかったという。
  • 人口停滞の実現と、節約という欲望の抑制が、森林にかぎらず環境資源に対する総需要を抑制し実現するうえで、江戸システムの維持を実現したという点では最も特徴的で重要な要因であったといえよう。
  • 都市化が進み、人口が密集するのにともない、地震や火事などの被害が大きくなる。
  • 隣接地域の飢餓に対して救援措置が取られなかった点に、幕藩制によって統治領域が分断されていたことの弊害がみられる。
  • すなわち鎖国は、華夷秩序を補完するための措置であり、諸外国から日本を遮断することを目的とする消極的な政策ではなく、江戸幕府が独自の対外関係を積極的に形作ろうとして選んだ政策であった。
  • 江戸時代の日本が鎖国を選ぶことによって、同時代のヨーロッパに入って生活習慣を大きく変え、日本でもこの時代に普及する、綿・絹・茶・タバコなどの輸入代替化=国内生産をなし遂げて、高い産業力を育むことになったのも事実なのである。
  • さまざまな工業製品が普及するようになった江戸時代中期は、制約ある資源供給に対して消費が増大したという点で、生態学的な限界に近づきつつあったといえるかもしれない。
  • 幕末の洋式製鉄導入以前は、砂鉄から鉄をつくるタタラ製鉄が中心だった。このタタラ製鉄が、環境破壊の大きな原因ともなったのである。
  • 江戸は天明期には若干人口は減少したものの、十九世紀になると再び人口は盛り返して幕末にいたる。これは、幕府の所在地として、莫大な消費需要が常に存在したこと、十八世紀における周辺地域の経済発展によって、物資の集散をおこなう第二の中央市場に成長してしたこと、の二つの要因がある。
  • 日本人の国民性が勤勉であるがゆえに、非ヨーロッパ社会の中でもいち早く近代化を成し遂げることができたといわれることがある。たしかに農民の勤勉は近代化の過程でおおいに貢献した。しかしそれを、超歴史的な日本人の性格であると考えたならば間違いである。勤勉という性格は、江戸時代のある時期に、歴史的に形成された産物であった。
  • 勤勉を植え付けた原動力は、自由な労働と市場経済の浸透にこそあったとみるべきであろう。
  • 都市生活の水準上昇が夜間の生活時間を長くし、それが照明器具の普及と油や蝋燭への需要を拡大させたのである。
  • 議論の余地はあるが、プロト工業化の進展にともなう労働形態の多様化や、奉公経験などによる人口の流動化、幕末の経済成長などが、休日の増加になんらかの形で作用したものと見られる。
  • 十八世紀末期の京都では、捨子・迷子とならんで年少の奉公人や高齢者の行方不明を報じる町触が、多数出されていた。(略)この時代にも認知症や徘徊老人に近いような者が少なくなかったことがわかる。
  • 米という単一の作物に依存することはむしろ特殊であって、江戸時代の日本人の主食は、その土地でできる作物を中心とするのが一般的であった。


ツイッターで某大学の先生がオススメしていたので読みました。


私は歴史が本当にだめで、日本史の知識も世界史の知識もスッカスカです。有名な文学者の名前とかもよくわかりません。現代以前の話にまったくついていけません。


そんな私ですけれど、この本はなんとか読めました。江戸時代の社会システムについて書かれた本なので、歴史上の人物の名前がほとんど出てこなかったおかげだと思います。




勤勉な国民性は歴史が作ったという考察はおもしろかったです。勤勉によって生活水準が向上することを知ったので勤勉になった

さらに、家の主にとって家人の時間も自分のものという観念だったそうで、これが現代の長時間労働サービス残業・有給休暇未消化につながっているかもしれないそうです。

自分の時間を自分で使えないのはつらいですね。私は絶対耐えられないです。現代に生まれて良かった。




一度読んだだけでは理解できなさそうな情報量なので、今後も読んでいこうと思います。