「人生に生きる価値はない」(新潮文庫)中島義道

引用と感想

 職場における人間関係で悩む人でも、気の置けない友人の二人や三人はいるであろう。それさえいない人、世の中の誰ともうまくやって行けない人は、むしろ「才能」なのだから、それを伸ばすべきではないか。普遍的に人が嫌いなら、懸命に一人で生活できるように努力すればいい。それだけのことである。こうした生き方が別段劣っているわけではない。

15,16p


私も劣っているわけではないと思います。ひとりで生きていけるのも才能だと思います。おそらく、多くの人は1人では生きていけません。1人で生活できるのは才能だと思います。


しかし、1人で生きていきたくないのに、1人で生きていかざるを得ない人もいます。そういう人は自分のことを劣った人間だと思っていて、常につらい気持ちを抱いています。自分ではどうすることもできない現実に、もがいています。著者のような考え方になれたら良いですが、なかなかうまくはいかないかもしれません…。


開き直ることができたらいいのですが…。



ひきこもっている青年の多くは、「普通」との戦いの現場にいる。世間は「普通」であることを要求するが、自分はそこから転落した惨敗者であることを認めざるを得ない。(略)どこまでも反社会的姿勢を貫きながら、そのこと自体が社会から認知され尊敬さえされる唯一の場所は、芸術であり文学であり哲学である。だが、これがうまく運ぶためには、「反社会的特権階級」において成功しなければならない。それは大変難しく、またこの社会で敗者になったら、あとはない。

38,39p


反社会的世界で勝利するというのは面白い考え方かもしれません。資本主義社会の中で勝てなくても、新しい生き方を自分で考えて、その社会で生きていく。Phaさんとかの生き方ですね。


大人たちはこういう青年に「そんな夢みたいなこと考えるな!」とどやすが、これがまったく効き目がない。なぜなら、こうした「夢物語」を「何をしても虚しい、そしてどうせもうじき死んでしまう」という本当の物語がしっかり支えているからである。(略)ひきこもりの青年は、人生のスタートラインでどうしようもない「真実」を見てしまったのだ。(略)はたして、母親は「どうせ死んでしまうのだから虚しい」ということを、脳髄がしびれてしまうほど考えたことがあるのか?どうせ働いても、何の喜びもない、そして年取って死んでいくだけだ、という真実の残酷さを正面から見据えて取り組んだことがあるのか?

40,41p


うつ病患者のほうが、うつ病にかかっていない人よりも、物事に正常な判断が下せるという話をどこかで聞きました。働いている人よりも、病人のほうがまともな生き物である可能性は十分にあります。もしかしたら、ひきこもりはまともな人間かも…?


コミュニケーション的強者とは、「ノブレス・オブリージュ(社会的強者の責務)」を身に受けるほどの覚悟がなければならない。これは、人間は平等だという真っ赤な嘘をかなぐり捨て、自分の強さを実感するところから始まる。自分はより強いがゆえに、どこまでも困難な課題と過酷な試練を要求する。他人はより弱いがゆえに、それほどの課題も試練も要求しない。ニーチェの言葉を使えば、貴族的精神の有する「距離のパトス」、自分は強いからこそ弱い者たちと常に一定の距離を保ち、そのパトス(感受性)を大切にしようとする態度である。自分に厳しく他人に寛大な態度である。
 だが、弱者はまったく逆の態度を取る。彼らは、常にマイナスの距離のパトスを実現しようとする。他人は強いから過酷な課題をこなすことができ、こなさねばならないのだが、自分は弱いからそれが免除されてあたりまえなのだ。こうした自己否定、自己憐憫を当然のごとく行使する者、それが「弱者」の定義である。

160p


現実では他人に課題を与える人がコミュ力の高い人になっている気がします。コミュ力の高い人ばかり採用したら仕事で責任を取る人がいなくなったという話もありました。「コミュニケーション強者の新卒しかとらなかった会社の話」が恐ろしい - Togetterまとめ


ノブレス・オブリージュを実行できる人でありたいです。



 とはいえ、私は自殺したいわけでもなく、ことさら世界の終焉を望んでいるわけでもないなぜなら、そんなことをしなくても、この世はじつはもともと「無」であることが次第に判明してきたからである。(略)これこそカントの唱える「超越論的仮象」である。

271p


最近読んだ「現代語訳 般若心経」にも似たようなことが書いてありました。感想→http://gowalk.hatenablog.com/entry/2017/02/28/230000


この世は無ですね。意味なんてないです。



最後に
 

著者は「口の悪い頑固おやじ」だなと思いました。本の中で、"電車のなかで化粧をする女性"に本気で怒っていたので、そう思いました。


タイトルには共感しましたが、著者の意見にはそれほど共感できませんでした…。でも、気になるタイトルの本があるので、著者の作品はもう1つくらい読んでみようと思います。


「微分と積分 微分」kindle版(科学雑誌Newton)

この電子書籍は,2016年5月に発行されたニュートン別冊『微分積分 増補改訂版』の一部を電子版にしたものです。


微分の基本的な概念を学ぶことができます。


微分積分を発明したニュートンの生涯、放物運動を上方向と横方向に分けることを考えたガリレオの話、デカルトフェルマーが作り出したとされる座標の話、微分法の鍵をにぎる接線の話、微分積分が飛行機を飛ばしている話など、微分に関する基礎知識と雑学を学ぶことができます。


感想


高校の時に接線の傾きを求める方法を習ったはずなのですが、完全に忘れていました(笑)。これを読んで思い出しました。



皆さんは接線の傾きの求め方を覚えていますか?


ニュートン微分法(流率法)って名前なんですよ。


ニュートン微分法で


y=x

y=x2

y=x3

y=x4


の式を解き続けていくと、ある法則が見つかります。


それは

y=xnの式を微分するとy'=nxn-1になるという法則です。




つまり

y=xの微分は1


y=x2微分は2x


y=x3微分は3x2


y=x4微分は4x3


になるということです。



微分=接線の傾きなんです。




y=xの接線の傾きを計算すると1になります。


y=x2の接線の傾きを計算すると2xになります。


y=x3の接線の傾きを計算すると3x2になります。


y=x4の接線の傾きを計算すると4x3になります。




では、y=x2の接線の傾きを計算してみます。



y=x2はこんなグラフです。


f:id:gowalk:20170302164601p:plain
引用http://keisan.casio.jp/




ここで点Aの接線の傾きを考えます。


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点Aは線上を動いているとします。


点Aが動いた時間をoとすると


点Aは(10,100)から点A'(10+op,100+oq)へ移動します。(ただし、ここで移動時間oは限りなく小さいものとする)


点A'(10+op,100+oq)の座標を式に代入します。


y=x2


(100+oq)=(10+op)2


100+oq=100+20op+o2p2


100-100+oq=20op+o2p2


oq=20op+o2p2


oで割ると


q=20p+op2


pで割ると


q/p=20+op


oは限りなく小さいので0になる


q/p=20


よって傾きは20になります。


皆さん覚えていましたか?


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では、今度は点A(a,a2)で考えてみます。


点Aは線上を動いているとします。


点Aが動いた時間をoとすると


点Aは(a,a2)から点A'(a+op,a2+oq)へ移動します。(ただし、ここで移動時間oは限りなく小さいものとする)


点A'(a+op,a2+oq)の座標を式に代入します。


y=x2


(a2+oq)=(a+op)2


a2+oq=a2+2aop+o2p2


a2-a2+oq=2aop+o2p2


oq=2aop+o2p2


oで割ると


q=2ap+op2


pで割ると


q/p=2a+op


oは限りなく小さいので0になる


q/p=2a


よって傾きは2aになります。



つまりy=x2微分は2aになります。



y=x2微分は2aであることが計算できました。




最後に


雑誌では、ほかのy=x3の接線の傾き、y=x4の接線の傾きの計算も書いてありました。さらにコラムで「東京マラソンで全員が最短時間でスタートを切る方法」というのも書いてありました。興味深かったです。


現在セールで250円です。


「ニートがひらく幸福社会ニッポン」(明石書店)二神能基


面白かったです。


著者は、ニュースタート事務局というニート支援のNPO法人の代表です。この本は活動の中で出会ってきた若者の姿をまとめたものです。


まとめと感想

 上昇志向も物欲もないニートこそが、21世紀に順応した進化した価値観を持っている。ニート問題と思っていたものは、資本主義の発展の必然から生まれた進化系の現象である。21世紀の社会を20世紀の価値観で生きていこうとすれば、壁にぶつかるのは当たり前だ。問題なのは、経済的上昇にこだわり若者の現状を「やる気がないダメな奴」と考える、わたしたちの世代の方なのだ。

41p


物欲がないというか、お金がないのだと思います。あと、「企業の宣伝に促されて無駄な物を買う人」が減ったからだと思います。


私も物欲がないと家族からよく言われていました。親にコレを買ってほしいと頼んだのは小学2年生以降ないです。でも、それは物欲がないのではなく、お金がないのに物をねだってはいけないという考えがあったからで、物欲がなかったからではないです。欲しいゲームはたくさんありました。


上昇志向がないのは、努力しても上昇できないからでは?努力が報われる場があれば努力すると思います。


そういう場でも努力しない人は、もともとそういう気質なのだと思います。昔から仕事で手を抜く人はいたのではないでしょうか。


そういう人が堂々と生きていける社会に変わったのだと思います。



 若者自身も、父親のような働き方に違和感を持っていても、代わりに目指すモデルも見あたらず、自分の気持ちを整理しきれないでいる。時には父のようになれない自分が悪いのではと考えてしまう。そこに時代の流れからくる価値観の根元的な変化があるとは、気付いていない。そのゆらぎが子供の幼さに見えて、余計に親は自分の意見を押しつけようとしてしまう。

68p

「自立なんかする必要はない」

「他人ともたれ合っていきろ」

「人生に目的なんか必要ない。ただの人として楽しく生きろ」

180p


この3つの言葉にすべてがこめられている気がしました。



本のはじめに古市憲寿氏のことに触れていましたが、古市さんはニートではないし、大学院に所属しながら働いているし、それなりに金持ちなので、ニートの話をするときに古市さんの話を出すのはしっくりきませんでした。古市さんは同年代の代表ではあると思いますけど、ニートの代表ではないです。



本の中には、元ひきこもりの方の話もいくつか出てきました。とても参考になりました。ありがとうございます。


とても面白かったので、著者の別の本も読んでみようと思いました。


最後に


ニートはこの本を絶対読むべき


「現代語訳 般若心経」(ちくま新書)玄侑宗久

 ちなみに日本では、「般若」というとあの角の生えたお面を想いだす方も多いかと思うが、あれは女性の嫉妬の究極を表したお面で智慧とは何の関係もない。ただあのお面を得意とした彫り師が般若坊という名前であったため、「般若のお面」と呼ばれたに過ぎない。ゆめゆめ混同しないでいただきたい。

13,14p


知らなかった…。あれは女性の嫉妬を表現していたのですね。



 諸法すなわちあらゆる現象は「空相」であって、それは生じたり滅したりもしないし、垢がついたり浄らかであったりもしないし、増えたり減ったりもしない、ということでしたね。

77p

 どのポイントを「生」とし、どのポイントを「滅」とするのか、またどこ以上を「浄」とし、どこ以下を「垢」とするのか。「増」と「滅」は傾きで明らかかもしれませんが、連続している以上その分岐点は明確にできないはずです。また実際はうねりが無数に交錯していますから、一つのうねりを取り出すことじたい、すでに全体性ではありません。
 しかし脳は、こうしたはっきりした概念の物差しで単純化して事態を把握したがる、ということなのです。
 「わかる」というのは「分ける」ことによって成り立ちます。
 分けられない「空」を、わかるように分けて固定化したのが「色」です。

78p

 色は空に異ならず、空は色に異ならず、しかも色即是空で空即是色なのだと、私は申し上げたはずです。これ、ご理解いただけたでしょうね。
 要するに全ての現象には「自性」というものがなく、「縁起」のなかに発生する流動的事態。「諸行無常」で「諸法無我」だからこそ、実相は常に私たちの脳の認識である「色」を超える。そういうことだったと思います。
 「色」という物質的現象が、いかに本質においては「空」であるか、それはくどいほど申し上げました。だから「色即是空」です。
 しかし、それでも、本質が「空」であるからこそ物事は変化して関係を持ち得る。しかも、だからこそ「縁起」のなかで「色」として発現できる。それが、「空即是色」ですね。
 だから「空は色に異ならず」。「空性」と「顕現」は別物ではなく、また「色は空に異ならず」。「顕現」を支えているのも「空」なのだと申し上げたはずです。
 つまり、私は、「空」というのは「いのち」のまま、「色」というのはそれに脳が手心を加えた現象なのだと申し上げてきたつもりです。いや、脳というより、「私」と云うほうが正確ですね。

153,154p


なんとなくわかりました。すべては空なのですね。ほとんどの人は空を理解できないので、理解しやすくするために色をつけて分けている。なので、色即是空である。色はそもそも空である。


全体を理解する=空を理解する


空は本来分けられないものだが、脳が理解するために色として分けている。色に悩むのが人間。



 だって「恐怖」も「私」が感じていたのですから当たり前ですね。自分の都合を第一に考え、概念で念入りにでっちあげた「私」が勝手に「恐怖」を感じたり「死にたい」と思ったりする。本当に人間の脳って厄介ですね。しかしそんな「私」の思いを真に受けて、本当に自殺したりするんですから笑ってもいられませんね。
 死にたいと思ったら、ビルから飛び降りるとか電車に飛び込むとか、あまり確実な方法を選ばずに、一度水にでも飛び込んでみればいいと思いますよ。すぐにわかるはずですよ。死にたい「私」に関係なく、「からだ」は藻掻くでしょ。「死にたい」なんて思ってたのは「私」だけだった、脳細胞の一部だけで、ほかの細胞はみんな生きたがっていたって、すぐに判明してしまいますよ。
 だからこの「私」を「いのち」そのものと錯覚したり、あるいは「私」の思いで「いのち」や「からだ」を支配しようというのが、一番困った勘違いなんです。難しい言葉で云うと「顚倒夢想」ですね。

159,160p


自殺未遂のすすめ…?


私も死にたくなったら海にでも行こうと思います。仮に死ぬとしたら、死体の処理に手間がかからない方法を考えてから死にたいですね。


感想


死ぬ間際になったら宗教にでも頼ろうかなと考えていますが、私は今のところ死にそうにないので、宗教は必要ないです。成人してから神様を信じられなくなったので、初詣とかも行かなくなりました。お墓参りは仕方なくやってます。(本当は面倒くさい)


般若心経のなかに「この咒文は世の一切の苦悩を取り除くことにおいて、まさしく真実であるし、一点の虚妄もないのである。」という文章がありました。




本当か?


「MAKERS」(NHK出版)クリス・アンダーソン 関美和


気になったところをまとめます

  • 昔は発明家とされていたような人間が、今は起業家になる時代に変わった。
  • ゼロから発明しなくても、他者の成果の上に自分の成果を積み重ねることで、数十年かかることを数ヶ月で成し遂げられる。
  • 特許を取るかわりに設計図をオンラインで公開すればよい。
  • 大企業に頼まなくても、自分で製品を作れるようになった。
  • 消費者は、自分が創造に手を貸したと感じる製品をより高く評価する傾向がある。
  • 産業革命が生み出したのは、何にも増して長時間の余暇であり、それが近代を象徴するほぼすべてのものの発明につながった。
  • 3D印刷やその他デジタル製造技術は1000個作るのも1個作るのも単位当たりのコストに違いはない。逆に、射出成形は生産数が増えるごとに単位当たりのコストは減る。
  • 自分たちと小売業者の両方にそれぞれ50%の利益を確保しようと思えば、少なくともかかったコストの2.3倍の価格をつける必要がある。


感想


本は面白かったです。


将来起業したい人とか、ものづくりが好きな人はこれを自己啓発本的に使えるかもしれません。ものづくりでどうすれば成功できるかの道筋が書いてあります。やる気を出させてくれます。



本では3Dプリンターの革命が起こると主張していましたが、私はあまり信じていません。中国で作った大量生産品が安くてすぐ手に入るのに、わざわざ3Dプリンターを買って、高くて粗末な作品を作りたいと思うでしょうか。下手な手作りより安い既製品のほうが良いと思うのですが…。


このニュースを見ると、3Dプリンターの販売数は減少しているようです。プロ向けは増加するという予測ですけど、どうなるのかなぁ。http://news.mynavi.jp/articles/2016/07/29/idc_3dprinter/


プロトタイプを作るメーカーは、プロトタイプを作るメーカーとして成長して、市場を独占するようになると思います。


3Dプリンターを使ってプロトタイプを作るよりも、技術力のある企業に頼むほうが安くて信頼できるプロトタイプを作れると思います。


3Dプリンターを使いたい人は、あくまで個人の趣味の範囲におさまるだろうと思っています。



本を読んでいて思ったのは、英語は必ず必要だということです。「インターネットで優秀な中国人を見つけた」という話があったのですが、これは英語ができる中国人だからできたことであって、中国語しかできない中国人では見つからなかっただろうと思いました。最近流行ったPPAPも英語だったからブレイクしました。


翻訳が進化して、母国語でも問題のない時代がもうすぐ来るのかもしれませんが、英語が世界の共通語であることは間違いないです。英語は必須です。



最後に


アメリカのイノベーションだけが世界の全てだとは思いませんが、影響力が大きいのは間違いありません。最後のソフトの説明は参考になりました。機会があれば使ってみようと思います。


「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その17

 人間が世の中を渡っていくようすを見てみると、自分で思っているよりも案外悪いことをし、自分で思っているよりも案外愚かなことをし、自分で目指しているよりも案外成功しないものである。

176p


ネガティブのすすめ


これくらいの心構えで生きていくほうが楽かもしれません。



 また、人の性質には、賢い・愚か・強い・弱いの区別があるが、それにしても、まさか自分を動物以下の知能の持ち主と思う者はいないだろう。だから、世の中にあるさまざまな仕事を見分けて、これだったら自分でもできると思って、自分相応にその仕事を引き受けるのだ。けれども、実際にやってみると、思いのほかミスも多く出て、最初の目標を誤り、世間にも笑われて、自分でも後悔することが多い。

177p


仕事だけでなく、人生もこのようなものなのかもしれません。自分でやってみて後悔する。



 田舎の書生で、故郷を出るとき「苦しい思いをしてでも三年の内には学問を修めよう」と思っていた者が、その誓いを守れるだろうか。無理な算段をしてまで買った待望の原書を、「三ヶ月以内に読破する」と思っていた者が、果たしてそのとおりにできるだろうか。志の高いインテリが、「私が政府で仕事をすれば、この事務はこのようにし、あの改革はあのように処理して、半年の間に政府をガラリと変えてみせる」と考えて、再三意見を出した後、ようやく念願かなって政府仕えになったとき、果たして考えていたとおりにできるだろうか。「おれに大金があったら、明日にでも日本全国に漏れなく学校を作って、どんな家の人間でも学問させてやるのになあ」という貧乏学生を、今日、いい縁があったということで三井や鴻池といった大財閥の養子にすれば、果たして言ったとおりのことをやってくれるだろうか。
 この類の夢想は枚挙に暇がない。すべて、物事の難易度と時間の長短を比較できていない結果だ。時間の計算は甘すぎるし、物事を簡単に見すぎている。

179p


物事を批判するときに、「自分だったらできる」と言っている人は基本的に信用できません。そういうことを言う人は、言うだけで何もできない人です。理想がある人ほど、言う前に行動している気がします。


私は、高い目標を持っても達成できないと思っているので、目標を設定するときはとても低い目標を設定します。


例えば「ブログを毎日書く」という目標は、難しいので設定しません。するなら「ブログを書く」という目標を設定します。ブログを一文字でも書けたら、目標達成です。これくらいがいいです。


今のところブログは毎日更新していますが、いつやめてもかまわないと思っています。いつやめてもかまわないと思っているからこそ、続けることができているのだと思っています。



仕事はノルマとかかせられますよね…。達成できなくてクビになるレベルのものではないにしろ、ノルマをかせられるのは精神的に負担が大きくて嫌になります…。


目標とか嫌い。





gowalk.hatenablog.com

「夜は短し歩けよ乙女」(角川文庫)森見登美彦

Kindleでセールをしていたので買いました。アニメ化されるということで、今話題になっているようです。




あらすじ

後輩である少女に恋をしている「私」は、彼女という城の外堀を埋めるべく日々彼女を追い掛け、なるべくその目に留まろうとしている。しかしその彼女はなかなか「私」の想いに気づいてくれない。2人は奇妙な人物に出会い、奇抜な事件に巻き込まれてしまう。恋愛ファンタジー。

wikipediaより引用


感想


純粋な恋愛ストーリーかと思いきや、片思いをこじらせた主人公が、好きな女の子をストーカーするという話でした。Σ(゚Д゚)


ストーカーといってもバレないように後ろから尾行するということではなく、偶然を装って女の子とばったり会うことを夢見て外を出歩くという意味です。アプローチしたいけれどできないシャイな男性が描かれています。


これを現実でされたら女性はどう思うのでしょうか?とても気になりました。


仮に私がこれをされたら、相手のことを半ストーカーだと認識します。実害がない限りは放っておくと思いますが、ややこしい感情になることは間違いないです。でも、この程度のストーカーなら気づかないかも?


人によってはストーカーだと思わないで、好きになるパターンもあるかもしれません。※



もう一人の主人公である片思いされている彼女は、とてもたくましい人間でした。酒豪で病気に強い、誰に対しても優しい、演技が上手い、心が純粋。妄想でしか存在しないような人間です。


こんな人間は世の中にいないと思います。この小説は恋愛ファンタジーですが、彼女の存在自体がファンタジーだと思いました。非の打ち所のない人間とはこのような人物を言うのでしょう。




 涼み台のそばには、背の低い学生が一人立っている。四角の黒縁眼鏡をかけ、顔も四角であり、足もとに置いてある重そうなジュラルミンケースも四角であった。どこまでも角張ることが彼の信条であるらしい。

No.1185


は、読んでいて笑いました(笑)。どこまでも角張ることが信条w


この小説は、このようなクスッとくる文章がところどころに出てきます。この小説の魅力ですね。


あと、著者の別作品である「四畳半神話大系」と同じ登場人物が出てきました。これもこの小説の魅力だと思います。




最後に


ファンタジー恋愛小説なので、なんでもありだなという印象のストーリーでした。つまらないということはないですが、面白いというほどでもなかったです。個人的には四畳半神話大系のほうが面白かったです。



私にも竜巻こないかな




「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その16

 元来、人間の本性というものは付き合いを好むものだが、習慣によっては、かえってこれを嫌うようにもなる。世に奇人変人として、わざわざ辺鄙なところに住んで、世の中との交際を避ける者がいる。これを隠者という。あるいは、真の隠者ではなくても、世間の付き合いを好まず、家の中に閉じこもって、「俗世間の塵を避ける」などといって得意になっている者もいないではない。

173p


俗世間の塵を避ける(キリッ)


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 こういう人たちの思いを察するに、必ずしも政府のやり方を嫌って引きこもっているわけではなさそうである。その心が臆病で弱く、物事に接する勇気がなく、その度量が狭くて、人を受け入れることができない人たちなのだ。人を受け入れられなければ、向こうもこっちを受け入れてはくれないので、向こうは一歩遠ざかる。とどんどん遠ざかって、最後には互いに違った者同士となる。その後は、敵同士のようになってうらみを抱きあうようになることもある。世の中にとって、大きなわざわいである。

173p

人を受け入れることができない人というのは間違いです。人を受け入れることはできます。受け入れてくれる相手に出会えなかったのが正しい解釈です。


心が臆病で弱く、物事に接する勇気がなく、その度量が狭いというのは否定しません。


しかし、うらみを抱きあうようになるのはお互いに悪いのでは?片方が一方的に悪いのに、うらみを抱きあうことはないと思います。片方だけに責任を押し付けるのは間違っています。



 物事の相談では、伝言や手紙ではうまくいかなかったことでも、実際に会って話し合ってみるとまるく治まることがある。また、「実はこういうわけなんだけど、まさか面と向かっては言えないしなあ」というような言葉がよく聞かれる。これは人間の真実の気持ちである。人間には相手を思って我慢する心があるのだ。我慢の心があれば、お互いの気持ちは通じ合って、怨望嫉妬の念はたちまち消えてしまう。

174p


昔は伝言や手紙で起きていたことが、今はネットで起きている気がします。ネットでは強気の物言いをしているけど、実際に会ってみるとそんなことはないという例は、探せばたくさんありそうです。


面と向かって人に何かを言うのは難しいですよね…。私はネットをしていてムカつくことはないので、文句を言いたいということはないですが、話し合ってみたいと思うことはあります。


でも実際に会ったら一言も話せないまま終わりそうです…。(¯―¯٥)





gowalk.hatenablog.com

「限りなく完璧に近い人々」(角川書店)マイケル・ブース 黒田眞知

地球上で最も幸福で、誰よりも信頼できる、成功している人たちが目の前にいたら、どこかしら欠点があるに違いないと、X線にかけてヒビ割れを見つけようとあら探ししたくなるのが人間の性というものだ。それは、私がこの本の全編を通して抑えきれなかったかもしれない本能でもある。この本を読まれる北欧の読者がいたら、どうか許していただきたい。やっかみだと思って気が済むなら、どうぞそう思ってください。

あとがきにこんなことが書いてある通り、この本は、幸福度の高い国々に住む人々のあら探しをしたものです。


幸福度の高い人々の生活は本当に幸せになのか?という疑問を持った著者が、北欧の国々のあら探しをします。





本では、デンマークアイスランドノルウェーフィンランドスウェーデンの5ヶ国を取り上げています。


著者はこれらの国々に住む人々を「スカンジナビア人」であると考察しています。


スカンジナビア人は積極的に前に出ない内気な人間だと述べています。


節度や平等性が高く評価される北欧においては、シャイであることは社会的なハンデとはみなされない。むしろ節度や慎み深さ、進んで人の話に耳を傾ける優れた資質の表れととらえられる。

No.4694


本を読んでいて、北欧の人々は日本人に近い気質なのだということがわかりました。


海外の人々(欧米の人々)は社交的なイメージがありましたが、これを読む限りでは、それは間違ったイメージなのだと思いました。


類似点は著しく多い。充実し、行き届いた社会保障制度があること、社会的団結力や人同士の結びつきが強く、集団主義的であること、経済的平等性が高く、自虐的なまでにリコリス好きであることーすべて北欧の人々に共通した特徴だ。

No.2425


日本と同じです。村社会ですね。


つまり「私もほかの人と同じように重要な人間だから、自分のショッピングカートを人のカートにぶつけながら押しのけて進む権利がある」ということらしい。スカンジナビア人のこの野蛮なまでの行儀の悪さを、おそらく生涯、私は正面から受け入れることはできないだろう。

No.2441


日本はそんなことない…と思いましたが、セール品に群がるおばちゃんの映像が浮かんできました…。


まぁこれに関しては日本のほうがマシかもしれません。


調査によると、50%以上のデンマーク国民が、前年、一切の税金を払わずに商品またはサービスを購入し、それ以外の30%が、適当なオファーがあればそうしたかったと答えた。


No.1298

言い換えれば、政府は、公務員や給付金の受給者たちが脱税することを、デンマークの民間企業を守るためとして見逃し、その民間企業が公務員の給与や受給者の給付金を払っているということになる。ひじょうに実利的かつスカンジナビア的解決方法だ。同じ手法はスウェーデンノルウェーフィンランドでも採られている。

No.1314


商品に対する税金を高くすると、闇市場が形成されるのはどこの国でも同じようです。




感想

あら探しと書いてある通り、北欧の人々の欠点をあげつらった本なので、読んでいて嫌な気分になりました。あと、ヨーロッパ的な皮肉の表現が多くて、読みにくかったです。さらに、知らない地名・人名のカタカナもたくさん出てきて、読みにくかったです。


北欧の人々が日本人と同じような気質を持っていて、村社会的であるというのは非常に参考になりました。


移民が多い国は交渉のために言語コミュニケーションが活発になるけれど、移民の少ない国はお互いの価値観を理解しているので、言語コミュニケーションをとらなくてもわかり合える。よって、寡黙になる。


移民を入れる入れないで議論になっている、現在の日本にも関わる話題だと思いました。読んでよかったです。



読みにくかったけど…。



「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その15

 また、誹謗と批判とは、非常に区別しがたい。他人に難癖をつけるのを、誹謗と言い、他人の迷いを晴らし、自分が正しいと思っていることを主張するのが批判ということになってはいる。

164p


これですね。 https://togetter.com/li/958541


 しかし、絶対の真実がこの世の中でいまだ発見されていない以上は、どの議論が正しくてどれが間違っているのかは決められない。正しい正しくないが決まらないうちは、仮に世間の多数決によって一応の正しさとするべきだろうが、何が多数意見なのかを明らかに知ることすらも、たいへん難しいのである。
 したがって、他人を誹謗する者に対して、ただちに人格的に問題があるように言ってはいけない。それが果たして誹謗なのか、それともきちんとした批評なのかを区別するには、まず世界中の真理を得なければならない。
 以上のほか、驕りと勇敢さ、粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と機敏さはペアになっているものであって、どれもみな場面と、程度と、方向性によって欠点ともなるし、美点にもなるのだ。

165p


以前、ネガポ辞典というアプリが話題になりました。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AC%E3%83%9D%E8%BE%9E%E5%85%B8


女子高生が考えた、ネガティブな言葉をポジティブな言葉に変換できるアプリです。よくできているなぁ〜と思いました。


短所を長所に言い換える技術は、就職の面接対策で必ず使います。私の場合は、積極的に行動できないという短所だったのて、冷静に物事を判断することができるという長所に言い換えていました。


"面接で短所を聞かれたら、短所を答えた後に反対の長所も付け加えて言う"というテクニックは、就活生全員使います(笑)。必ず習います。面接官の方はあまり聞いても意味がない質問かもしれません。


この記事でもおなじことが書いてありました。https://www.wantedly.com/companies/Supership/post_articles/52240


短所と長所の話を求人応募者から聞き出すのは難しいですね。


たとえば、他人の幸福と自分の不幸を比較して、自分に不足があれば、それを改善して満足するという方法をとらずに、かえって他人を不幸におとしいれて、それによって自分と他人を同じ状態にしようとする。『論語』に「これを悪んではその死を欲す」という言葉があるが、まさにこのことだ。このような者の不平を満足させようとすれば、世間一般の幸福が減るだけであって、何の得にもならない。

166p


これは本当に迷惑です…。誰も幸せにならない…。


こういうことをする人は、どういう考え方で行動しているのでしょうか?私は他人に対する憧れとかほぼないので、足を引っ張りたいという気持ちがまったくわからないんですよね。足を引っ張るくらいなら自分のためになることをやりたいです。


人の不幸話が面白いという気持ちはわかります。しかし、人を不幸にして快感を得たいという気持ちは理解できません…。


他人を不幸にしても自分が幸せになるとは思えないです。他人を不幸にしている自分に、嫌悪感を抱いたりしないのでしょうか。


理解できない…。






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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その14

なお、このほかに、本を読まなくてはならない。本を書かなくてはならない。人と議論しなくてはならない。人に向かって、自分の考えを説明しなくてはならない。これらの方法を使い尽くして、はじめて学問をやっている人といえるのだ。
 すなわち、観察し、推理し、読書をして知見を持ち、議論することで知見を交換し、本を書き演説することで、その知見を広める手段とするのだ。この中には自分ひとりだけでできることもあるけれども、議論や演説に至っては、他人を必要とする。演説会の意義が、これらのことによってもわかる。

153p

私は学問をやっている人と名乗っていいのでしょうか。人に向かってはいませんけど、パソコンの画面には向かっています。パソコンの画面の向こうには人がいるので、一応人に向かっていることになります。でも議論はしてないか…。


ネットは、議論する場に向いているのでしょうか。誰かが「ツイッターは、ぼやく場だなぁ」みたいなことをつぶやいていました。ツイッターは議論の場としては適切ではないのかもしれません。ブログも議論する場ではないですね、日記なので。


そうなると2chになるのかもしれません。



禅では、悟りなどといって、その理屈はたいへん奥深いものであるとのことだが、その坊さんのやっていることを見れば、現実から離れていて役立たずである。現実的には、ぼーっとしていて何の見識もないに等しい。

155p


お坊さんを全面的に否定されました!全国のお坊さんはこれをご存知なのでしょうか。とても気になります。



経済学の本を読みながら自分の家計もどうにかできない。

155p


悪口ですね(笑)


 では、人間の見識、品格を高めるにはどうしたらいいのだろうか。
 その要点は、物事のようすを比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることである。

156p


自己啓発本でよく見かける言葉ですね。上を目指し、決して自己満足しない。これを書いていない自己啓発本はおそらくないでしょう。



いまのインドの仕事といったら、ただアヘンをつくって中国人を殺し、イギリス商人のみを毒薬商売で儲けさせることだけである。

161p


こんなことも書いてあるのか…。



およそ人間には、いろいろな欠点があるものだが、人間社会において最大の害があるのが、「怨望(他人の幸福をねたんだり、うらむこと)」である。欲張り・ケチ・贅沢・誹謗の類は、どれも大きな欠点だけれども、これをよくよく見てみれば、その本質のところでは別に悪いものではない。それを出す場所柄と、その強弱の程度と、向かっていく方向によっては、欠点でなくなることもある。

163p


これもいろんな自己啓発本に書いてありそう…。





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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その13

 演説をすると、その内容の重要さはひとまずおき、口頭でしゃべるということ自体に、おのずからおもしろみが出てくる。たとえば、文章にすればたいして意味がないようなものでも、口で言葉にすれば、理解もしやすく、人の心を動かすものがあるのだ。古今に高い名詞名歌というのもこのタイプのもので、これらの詞歌を通常の文章に訳せば、ちっともおもしろくなくなるのだが、詞歌の約束事にしたがって形を整えると、限りない趣が出てきて、多くの人を感動させる。
 したがって、一人の人間の考えていることを多くの人に伝えるのに、スムーズにいくかどうかは、それを伝える方法におおいに関係しているといえる。

151p


高齢者の多くはテレビしか見ないので、高齢者に何かを伝えるためにはテレビを使う必要があります。「テレビに出ないと高齢者が話を聞いてくれない」と夏野剛さんがネットの番組でぼやいていました。そうなのだろうと思います。


私の祖父と祖母は80代で、ネットはまったくせず、テレビしか見ません。そもそも家にインターネット環境がなく、パソコンの存在も知りません。もちろんスマートフォンも知りません。携帯電話を父親が渡していましたが、まったく使わないので解約しました。


インターネット環境がない家は、田舎の山の方にいけばけっこうあると思います。インターネットを使わなくても生きていけますから。ちなみに、祖父と祖母の家にインターネットを引こうと思ったら、光回線は届かないのでADSL一択になります…。これが田舎か…。



情報を伝える手段はたくさんありますが、どの方法がもっとも効果的に情報伝達に役立つかは気になるテーマです。そういう研究されている方の本とか読んでみたいですね。


 学問はただ読書するだけのものではない、ということは、すでにみなの知っていることであるから、いまさらそれを論じる必要はないだろう。学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に生かせない学問は、学問でないのに等しい。

152p


文系学部を廃止するというニュースが最近ありました。役に立たないからなくしてしまおうという案だそうです。


本当に役に立たないならなくしてもかまわないですけど、役に立つものと役に立たないものを区別するのは難しいと思います。理系の分野でも、すぐに効果が現れるものもあればしばらく経ってから効果が現れるものがあります。時間が経っても効果が現れないものもあります。役に立つ役に立たないの区別をどういう判断で行うのでしょうか。


これを突き詰めると"大学はいらない"という結論になるのではないかと思っています。高校までで勉強は終わらせて、あとは会社に入って直接仕事をしながら学ぶ。効率を考えるとそれが一番良いような気がします。


大学必要ないですね。






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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その12

 生計を立てるのが困難である、とは言っても、よくよく一家のことを考えれば、早く金を稼いで小さなところで満足するよりも、苦労して倹約し、大成するときを待ったほうがよいのだ。
 学問をするならおおいに学問をするべきである。農民ならば、大農民になれ。商人なら、大商人になれ。学者ならば、小さな生活の安定に満足するな。粗末な着物、粗末な食べ物、暑い寒いを気にせず、米も搗くのがよい、薪も割るのがよい。学問は米を搗きながらでもできる。人間の食べ物は、西洋料理には限らない。麦飯を食って、味噌汁をすすって、文明の事を学ぶべきである。

137,138p


今の大学の先生はこういう貧しい生活を強いられていますね。非常勤講師の給料はとても低く、講師になれるかどうかもわからない。


ツイッターで、ハイスペック人材が低賃金・1年契約で雇われているツイートが流れてきました。


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こんな人材日本に何人いるのでしょうか?お金持ちのご息女が趣味感覚で労働するための求人に見えます。少なくとも中流階級の家庭で育った人間が就職するような求人ではないですね。修士修了して外国語を2ヶ国使えるようになったのにこの待遇って…どうかしてる…。



 あるいは、まれに正直な役人がいて、彼は賄賂をとらないという話であれば、前代未聞の名臣として国中の評判になるけれども、これだって実際はただ金を盗まないというだけのことである。人が盗み心を起こさないからといって、別にそれほどほめるに値するようなことでもない。ただ、ニセ君子がたくさんいる中で、人並みの人間がまじっているので、特別目立つまでのこと。
 結局、このようなニセ君子が多いのも、その原因を考えれば、古人が、「世の中の人間は、みな人がよくてコントロールしやすいもの」と思い込んだ妄想によるものである。その害がついに専制政治による人民抑圧となり、つまるところは、飼い犬に手を噛まれるということになったのだ。
 かえすがえすも、世の中で頼りにならないものといったら「名分」である。大きな毒を流すのは専制であり抑圧である。恐るべきことである。

146,147p


「世の中の人間は、コントロールしやすい」と電通の人が言っていたという話をネットで見ました。そう思っているエリートは多いのかもしれません。



ニセ君子かぁ…人を不幸にして金儲けしている人間は問題だと思いますが、人を不幸にしないで金儲けするのも難しいのでは?とも思います。誰かが利益を得るためには、誰かの利益が無くなるのが基本だと思っています。ゼロサムゲーム


人を幸せにする科学があれば、ゼロサムゲームではないのかもしれません。他にも、精神的な充足感を得られるものがあれば、それはゼロサムゲームではないのかもしれません。


そうなると…幸福の科学は…?…ゼロサムゲームではない…?…ニセ君子ではない…?…




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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その11

 むかしは、世の中の物事は古いしきたりに縛られて、志のある人間であっても、望みに値する目的がなかった。しかし、いまは違う。古い制限が一掃されてからは、まるで学者のために新世界が開かれたかのように、日本中で活躍の場にならないところはない。農民となり、商人となり、学者となり、官吏となり、本を書き、新聞を出し、法律を講義し、芸術を学ぶことができる。工業も興せる。議院も開ける。ありとあらゆる事業で行えないものはない。
 しかも、この事業は、国内の仲間と争うものではない。その知恵で戦う相手は、外国人なのである。この知の戦いで勝てば、それはわが国の地位を高くすることになる。これに負ければ、その地位を落とすことになる。大きな望みがあり、しかも目的もはっきりしているではないか。

134p


すごい志の高さだなぁ…。どうすればこんなに日本のことを考えられるようになるのでしょうか。自分の生活のみならず、国の将来のことまで考えるのはなぜなのでしょうか。


むかしテレビで、"能力の高い人(グローバルエリート)ほど国とか関係なく仕事ができるので、国を必要としない"と言っていました。たしかにそうだなと思いました。


福澤諭吉さんは確実に能力の高い人なので、仮に日本が消滅して無くなってしまっても普通に生活できると思います。そんな人がわざわざ日本のためになにかをしようとする理由は何なのでしょうか。


高い能力を、自分のためだけでなく、誰かのために使うことに喜びを感じるからとかでしょうか。いい人ですね。(´ω`)



現在福澤諭吉さんが1万円札になっているのも、日本のため日本のため、と言っていたからかもしれません。将来日本のお札になりたい方は、日本のためと言い続けるのが良いかもしれません。



 以上のように考えれば、いまの学者は決して通常の学校教育程度で満足してはいけない。志を高く持ち、学術の真髄に達し、独立して人に頼ることなく、もし志を同じくする仲間がなければ、一人で日本を背負って立つくらいの意気込みをもって世の中に尽くさなくてはいけない。
 人をどう治めるかを知って自分をどう修めるかを知らなかった和漢の古学者たちを、私はそもそも好きではない。だからこそ、この本の初編から、人間の権理は平等であると主張し、人々はそれぞれの責任に応じて、自力で生活していくことの大切さを説いたのである。ただ、自力で生活していく、ということだけでは、いまだ私の考える学問の趣旨を尽くしたとは言えない。

135p


和漢の古学者を全否定されました。自分の生活くらい自分で養え、ということですね。



けれども、酒や女におぼれないからといって、それをその人の長所だとは言えない。これはただ、世の中に害をなさないというだけのことであって、いまだに無用の長物であることは否定しがたい。酒や遊びを禁じた上で、その後で、職につき、身を養い、家に対してプラスになることをして、はじめて人並みの若者なのである。

136p


無用の長物:あっても役に立つどころか、かえってじゃまになるもの。(goo辞書より引用)


酒や遊びを禁じている若者なんているのだろうか…。これに当てはまる人並みの若者は、人並みの扱いをされない可能性が大。


 



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「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その10

 学校に入って勉強する費用は、一年間で百円にすぎない。三年間で三百円の資本を使い、それで一月五十円から七十円の利益を得るというのが、洋学を学ぶ学生の商売である。耳学問だけで役人になるものは、この三百円の資本金も要らないのだから、月給はまるまる手取りの利益になる。世間の商売の中で、これだけの割合の利益を得るものがほかにあるだろうか。高利貸と言えども、これにはおよぶまい。

130p


この時代の大学の学費は1年間100円だったようです。役人の月給が50円〜70円だということは、2ヶ月働けば1年分の学費を稼ぐことができた計算になります。


現在の慶應義塾大学の1年間の学費を並べてみます。ここでの学費は、授業料、在籍基本料、施設設備費、実験実習費を合わせたものになります。(慶應義塾大学のHP参照)

文学部 1,093,250円
経済学部 1,098,250円
法学部 1,103,250円
商学部 1,099,750円
医学部 3,593,250円
理工学部 1,593,250円
総合政策学部 1,331,250円
環境情報学部 1,331,250円
看護医療学部 1,595,750円
薬学部薬学科 2,163,250円
薬学科薬科学科 1,903,250円


現在の国家公務員総合職の初任給は218,216円です(人事院のHP参照)。それぞれの学部の学費を初任給で割ると


文学部 5ヶ月
経済学部 5ヶ月
法学部 5ヶ月
商学部 5ヶ月
医学部 16ヶ月
理工学部 7ヶ月
総合政策学部 6ヶ月
環境情報学部 6ヶ月
看護医療学部 7ヶ月
薬学科薬学科 10ヶ月
薬学部薬科学科 10ヶ月


となります。2ヶ月では無理です。最低5ヶ月かかります。理系は総じて学費が高いですね。


これは、昔よりも大学の学費が増えたのか、大卒初任給が増えていないのか、どちらでしょうか。


おそらく、両方(物価上昇したけど給料は増えていないということ)だと思われます。




最近、大学無償化のニュースを読みました。私がNewsPicks・はてなブックマークのコメントを読む限りでは、なんとなく反対派が多い気がしました。


大学への補助金を減らす、大学の卒業を厳しくする、Fラン大学をどうにかする、高校の卒業を厳しくするなどの意見が挙げられていました。



私は大学無償化自体には賛成です。ただし、高校・大学の卒業を今より厳しくする必要があると思います。ほとんど勉強しないで、高校を卒業して大学に入学できるのはおかしいと思います。高校を4年とか5年とかで卒業する人が増えれば、高校の質も上がって、大学の質も上がると思います。


大学のついでに高校も無償化で良いと思います。


無償化の財源?…知らない(  ̄3 ̄)~♪


 



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