「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その11

 むかしは、世の中の物事は古いしきたりに縛られて、志のある人間であっても、望みに値する目的がなかった。しかし、いまは違う。古い制限が一掃されてからは、まるで学者のために新世界が開かれたかのように、日本中で活躍の場にならないところはない。農民となり、商人となり、学者となり、官吏となり、本を書き、新聞を出し、法律を講義し、芸術を学ぶことができる。工業も興せる。議院も開ける。ありとあらゆる事業で行えないものはない。
 しかも、この事業は、国内の仲間と争うものではない。その知恵で戦う相手は、外国人なのである。この知の戦いで勝てば、それはわが国の地位を高くすることになる。これに負ければ、その地位を落とすことになる。大きな望みがあり、しかも目的もはっきりしているではないか。

134p


すごい志の高さだなぁ…。どうすればこんなに日本のことを考えられるようになるのでしょうか。自分の生活のみならず、国の将来のことまで考えるのはなぜなのでしょうか。


むかしテレビで、"能力の高い人(グローバルエリート)ほど国とか関係なく仕事ができるので、国を必要としない"と言っていました。たしかにそうだなと思いました。


福澤諭吉さんは確実に能力の高い人なので、仮に日本が消滅して無くなってしまっても普通に生活できると思います。そんな人がわざわざ日本のためになにかをしようとする理由は何なのでしょうか。


高い能力を、自分のためだけでなく、誰かのために使うことに喜びを感じるからとかでしょうか。いい人ですね。(´ω`)



現在福澤諭吉さんが1万円札になっているのも、日本のため日本のため、と言っていたからかもしれません。将来日本のお札になりたい方は、日本のためと言い続けるのが良いかもしれません。



 以上のように考えれば、いまの学者は決して通常の学校教育程度で満足してはいけない。志を高く持ち、学術の真髄に達し、独立して人に頼ることなく、もし志を同じくする仲間がなければ、一人で日本を背負って立つくらいの意気込みをもって世の中に尽くさなくてはいけない。
 人をどう治めるかを知って自分をどう修めるかを知らなかった和漢の古学者たちを、私はそもそも好きではない。だからこそ、この本の初編から、人間の権理は平等であると主張し、人々はそれぞれの責任に応じて、自力で生活していくことの大切さを説いたのである。ただ、自力で生活していく、ということだけでは、いまだ私の考える学問の趣旨を尽くしたとは言えない。

135p


和漢の古学者を全否定されました。自分の生活くらい自分で養え、ということですね。



けれども、酒や女におぼれないからといって、それをその人の長所だとは言えない。これはただ、世の中に害をなさないというだけのことであって、いまだに無用の長物であることは否定しがたい。酒や遊びを禁じた上で、その後で、職につき、身を養い、家に対してプラスになることをして、はじめて人並みの若者なのである。

136p


無用の長物:あっても役に立つどころか、かえってじゃまになるもの。(goo辞書より引用)


酒や遊びを禁じている若者なんているのだろうか…。これに当てはまる人並みの若者は、人並みの扱いをされない可能性が大。


 



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