この『学問のすすめ』という本は、もともと民間の読み物、あるいは小学校で使う本として書いたものなので、初編から第二編、第三編のあたりまでは、なるべく簡単な言葉を使い、文章を読みやすくすることを中心に考えていたが、第四編となって、少し文体を変え、難しい言葉を使ったところもある。
64p
なので、この第四編・第五編だけを見て、全体の南緯を評価しないよう、読者にはお願いする。
65p
小学校で使う本だったことに驚きました。第四編・第五編はこの本の46〜75pです。たしかに強烈な表現が多くなっているように感じます。
いまや、外国との交際が突然開けてきた。国内の仕事でも、一つとして外と関係のないものはない。すべてのもの、すべてことをみな外国と比較して対処していかなくてはならないという状況になった。古来から日本人がわずかに培ってきた文明のあり方を、西洋諸国のあり方をと比較すれば、はるかにおよばないどころか、まねようとしてもおよびがたい力の差を嘆くしかない。わが国の独立が、薄弱なことをますます感じるのだ。
66,67p
今も昔もグローバル化ですね。まねしようとしてもおよびがたいと言っていますが、近代は西洋をまねして急速に発展していきました。現在はアメリカの核に守られながらも、世界有数の独立した国になっています。
今後はどうなるのかわかりません。
西洋諸国の歴史書を見て考えてみると、商売や工業のやり方で、政府が発明したものなど一つもない。元は中くらいの地位にある学者が工夫したものばかりである。蒸気機関はワット(1736ー1819)の発明である。鉄道はスチーブソン(1781ー1848)の工夫である。はじめて経済の法則を論じ、商売の法を一変させたのはアダム・スミス(1723ー90)の功績である。これらの大家たちは、いわゆる「ミッヅル・カラッス(middle-class)=中産階級」の人で、国の大臣ではないし、また下層の労働者でもない。まさに国民の中くらいに位置して、知力で世の中を指揮した人たちである。
71,72p
ミッヅル・カラッスと書いてありました。ミドルクラスのことだそうです。たしかに発明するのは中産階級なのかもしれませんが、ものづくりにはお金が必要で、お金のない研究は発展しません。
官に頼らないと書いてありましたが、官のお金に頼らないで研究するのは難しいです。ただし現在はクラウドファンディングがあるので、不可能ということはないのかもしれません。
そもそも、勇気というものは、ただ読書して得られるものではない。読書は学問の技術であって、学問は物事をなすための技術にすぎない。実地で事に当たる経験を持たなければ、勇気は決して生まれない。
74p
勇気なくてすみません…。