「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その14

なお、このほかに、本を読まなくてはならない。本を書かなくてはならない。人と議論しなくてはならない。人に向かって、自分の考えを説明しなくてはならない。これらの方法を使い尽くして、はじめて学問をやっている人といえるのだ。
 すなわち、観察し、推理し、読書をして知見を持ち、議論することで知見を交換し、本を書き演説することで、その知見を広める手段とするのだ。この中には自分ひとりだけでできることもあるけれども、議論や演説に至っては、他人を必要とする。演説会の意義が、これらのことによってもわかる。

153p

私は学問をやっている人と名乗っていいのでしょうか。人に向かってはいませんけど、パソコンの画面には向かっています。パソコンの画面の向こうには人がいるので、一応人に向かっていることになります。でも議論はしてないか…。


ネットは、議論する場に向いているのでしょうか。誰かが「ツイッターは、ぼやく場だなぁ」みたいなことをつぶやいていました。ツイッターは議論の場としては適切ではないのかもしれません。ブログも議論する場ではないですね、日記なので。


そうなると2chになるのかもしれません。



禅では、悟りなどといって、その理屈はたいへん奥深いものであるとのことだが、その坊さんのやっていることを見れば、現実から離れていて役立たずである。現実的には、ぼーっとしていて何の見識もないに等しい。

155p


お坊さんを全面的に否定されました!全国のお坊さんはこれをご存知なのでしょうか。とても気になります。



経済学の本を読みながら自分の家計もどうにかできない。

155p


悪口ですね(笑)


 では、人間の見識、品格を高めるにはどうしたらいいのだろうか。
 その要点は、物事のようすを比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることである。

156p


自己啓発本でよく見かける言葉ですね。上を目指し、決して自己満足しない。これを書いていない自己啓発本はおそらくないでしょう。



いまのインドの仕事といったら、ただアヘンをつくって中国人を殺し、イギリス商人のみを毒薬商売で儲けさせることだけである。

161p


こんなことも書いてあるのか…。



およそ人間には、いろいろな欠点があるものだが、人間社会において最大の害があるのが、「怨望(他人の幸福をねたんだり、うらむこと)」である。欲張り・ケチ・贅沢・誹謗の類は、どれも大きな欠点だけれども、これをよくよく見てみれば、その本質のところでは別に悪いものではない。それを出す場所柄と、その強弱の程度と、向かっていく方向によっては、欠点でなくなることもある。

163p


これもいろんな自己啓発本に書いてありそう…。





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