社畜くん(baserockmedia)さんのブログでこんなことが書いてありました。
イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか、人間に飼育されるために存在しているのでは?
笑いました(笑)
イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか
「あのような手頃なサイズ」という表現も面白いですし、「収まったのか」という表現も面白いです。
「あのような」を調べてみると
話し手聞き手双方から離れているもの、また、双方の共通の理解のもとにあるものをさし示して、人や物事の状態や程度を間接的に述べる語。
goo辞書
「手頃」を調べてみると
大きさ・重さなどが、手に持つのにちょうどよいさま。取り扱いに便利なさま。
goo辞書
「収まる」を調べてみると
一定の範囲の中にきちんと入る。「押し入れに―・る」「予算の範囲に―・る」
goo辞書
「あのような手頃なサイズに収まった」というのは、
遠いところにいて、大きさ・重さが、手に持つのにちょうどよい範囲に入っている存在ということになります。
雑な絵で表現してみると、
ということです。
遠いところにいる存在をわざわざ考えるのは、かなり想像力を要することだと思います。(笑)
おっしゃられる通り、「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」というのはどうでもいいことだと思います。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」についての知識を得ても、人生で役に立つことはないでしょう。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について詳しい人が、尊敬の眼差しで見られるような場面は想像できません。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」についてドヤ顔で説明したところで、何だコイツ…と思われるだけです。
しかし、「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えを巡らせることは悪いことではないはずです。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えを巡らせることはイヌやネコのためにもなります。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えを巡らせることで、イヌやネコに対する愛情を深めることができるかもしれません。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えを巡らせることは、イヌやネコを理解しようとする気持ちがあるということです。
「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えを巡らせることは、動物を愛する気持ちをはぐくみ育てることに役立つかもしれません。
私も不安が押し寄せるときは「イヌやネコはなぜあのような手頃なサイズに収まったのか」について考えてみようと思います。
すぐに「ビジネス」という結論が出てしまうかもしれません…。(¯―¯٥)
ツイッターにて、恐怖を感じたときには「地球の反対側ではサンバを踊っている」ことを思い出すと良いと書いてありました。有効な方法だと思いました。
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