お題スロットを回していたら「これって私だけ?」というお題がでてきたので書いてみようと思います。
実は…
私は夏休みの自由研究を一度もやったことがありません。夏休みの自由研究が宿題としてなかったのではなく、夏休みの自由研究という宿題を6年間1度も提出しませんでした。日本全国で私だけということはないでしょうが、それほど多くないと思います。
なぜ私が夏休みの自由研究を6年間一度も提出しなかったのか?それはただ単純に私が宿題をしないクソガキだったからです。この一言に尽きます。これ以外の理由はありません。これ以上でもこれ以下でもないです。最近では宿題代行というものがあるようですが、私はそういったエリート教育を受けていた子どもではありません。地方の一般的な家庭で育った、どこにでもいる子どもです。
よく、夏休みの宿題を"早めに終わらせるタイプ"か"毎日コツコツとやって終わらせるタイプ"か"後半ギリギリになって終わらせるタイプ"かという質問があります。多くの人が"後半ギリギリになって終わらせるタイプ"という意見を耳にしますが、私はそのどれにも当てはまりません。私は"宿題をやらないタイプ"です。
多くの方はご存じないと思いますが、夏休みの自由研究はやらなくてもかまいません。夏休みの自由研究をやろうがやらまいが、その後の人生に影響はありません。夏休みの自由研究をやらなかったから"勉強のできない人間になる"とか、"理系に進むことはない"とか、"研究はできない"とかすべて間違いです。現に私は大学で工学部へ進学して、研究室で研究をしました。実験を行い、データを集めて、論文を書きました。夏休みの自由研究をやらなかったことが、悪影響を与えたことはありません。
そもそも自由研究どころか、夏休みの宿題なんてやる必要ありません。私は毎年やらなかったのでわかりますが、夏休みの宿題をやらなくて怒られるのは9月までです。9月中は毎日、宿題やっていない人は立たされて注意されますが、10月になったとたん一切何も言われなくなります。
私は本当に宿題をしない子どもでした。小学校でも中学校でも高校でも夏休みや冬休みで大量の宿題を出されますが、一度も完全にやり遂げて提出したことがありません(高校だけは居残りでさせられたかも…?よく覚えてない…)。学校の通信簿にも「夏休みの宿題が終わっていません」とか「冬休みの宿題が未提出です」と書かれていました。
「宿題なんかクソくらえ!」という反抗心、「宿題やって意味あるの?」というニヒリズム、その2つの感情が重なって宿題をしなかった………わけではありません。
私が宿題をしなかったのは、単に無気力だったからです。宿題をするというモチベーションがありませんでした。怒られても、特に何も感じることが無く、ただ聞き流していました。"宿題をしないのは悪いこと"だと思っていましたが、だからといって宿題をする気にはなりませんでした。
この気持ちが変わったのは大学受験が近づいてきたあたりです。大学受験を意識するようになってから、勉強に対するモチベーションが上がり、"宿題を学力向上のために使おう"と思えるようになり、宿題をまじめにするようになりました。(受験期になると宿題はほとんど出されなかったけど……。)
ただ、ここで私が言いたいのは、"宿題をするモチベーションは受験を意識することによって変わる"ということではなく「家庭環境によって学習のモチベーションが変わる」ということです。
振り返ってみると、あのとき勉強をまじめにするようになったのは、家庭環境が安定してきたからです。
どのような家庭環境だったかをここで言うつもりはないですが、家庭環境が安定したから勉強をするようになったのだと私は思っています。精神的な安定によって、勉強に対するモチベーションが生まれたのだと思っています。客観的にみると間違っているのかもしれませんが、少なくとも私はそう思っています。
"宿題をしないのは悪い"という主張は正しいと思いますが、"なぜ宿題をしないのか"を考えずに怒ってくる人は嫌いです。宿題をやる必要はありません。必要だと思うならやればいいですし、やりたくなければやらなくていいです。
宿題を提出しなくても許してくれた先生、ありがとうございました。