人はいつか死ぬけれど、いつ死んでも構わないと思っている人は世の中にどれくらいいるのだろう。
ちなみに私は、いつ死んでも構わない。
生きている間に成し遂げたいことなんてないし、日本社会は沈んでいっているし、社会から必要とされている気配もない。私にとって生きることの大半は辛いだけだ。現状にそれほど不満があるわけではないけれど、将来が暗いのはほぼ確定している。大学は出ているけれど新卒カードはもう使えないし、ひきこもり歴もあるし、精神病も診断された。将来の辛さから解放されるならすぐ死んでも構わない。
ただし、苦しみながら死ぬのは嫌だ。
わがままだけれど、これが正直な気持ちだ。私や私と同じ環境にいる人達が死なずに生きている理由は、おそらくこれしかない。自殺を実行しようにも失敗の恐れがあるし、生きている人間が死へ向かっていく間に苦しむのはちょっと考えれば分かることだ。首吊りは苦しまずに死ぬことができると言われているけれど、本人が必ず「苦しまない首吊り」を実行できるかどうかは分からない。「苦しまない首吊り」を実行できたとしても、それは肉体的な生存本能を抑えることができただけで、わざわざ進んで死を選ばざるを得ない状況になっている時点で、精神的に苦しんでいることは明らかだ。
精神的な苦痛によって自ら死を選んでいる段階で苦しんでいる。苦しみながら死ぬことになる。苦しみながら死ぬのは誰だって嫌だ。それなりに人生を謳歌してきたであろう高齢者が、ピンピンころり発言をしているのは苦しむのが嫌だからだ。
死ぬ直前になってまでわざわざ苦しむのは、何の訳にも立たない。何のメリットもない。誰も褒めてくれない。生きている間に苦しむのが嫌ではないのは、リターンがあるからだ。
勉強・運動・仕事・恋愛
これらは努力という名の苦しみを乗り越えれば、大きなリターンを得ることができる。つまり、見返りもない苦しみなんて無意味だ。
辛いことを乗り越えれば楽しみが待っているというのは、見返りを得ることができた人か、見返りを得ることができなかったけど自分を納得させるために嘘をついている人だ。
見返りを得ることができなかったけど、きっと何かしら役に立っているだろう。あの遠回りは損ではなかった。あの辛いことがあったから今の自分がある。辛い経験を積むことで、人生は豊かになる。
嘘だ。辛い思いをした挙句に報われることなく死んでいった人達のことを無視している。自分に適応できる理論は他の人にも有効だなんて勘違い甚だしい。個人の価値観によって創り上げられた常識を押し付けないでほしい。
苦しみのない死を選択できないのは、現代に生きている人間にとって不幸なことだと思います。苦しまない死を選択できる世の中を望みます。
そうですか。