忙しい人のための「ゲンロン0 観光客の哲学」東浩紀

分量の多いゲンロン0を勝手にまとめました。



はじめに

この書物はすべてぼくが書きました。

この書物は誤配の産物である。



第1部 観光客の哲学

第1章 観光

古代ギリシア以来、新しいものなどいっさいないのが哲学というものである。

「まじめかふまじめかわからないテロリスト」(21世紀のテロリスト)をより正確に表象することができるのは、政治ではなく文学。



付論 二次創作

ひとは、気に入った投稿を素朴に「いいね!」するわけではなく、「いいね!」をつけると他人からの評判が上がるものに対してこそ、積極的に「いいね!」をつけていく。

観光客=現実の二次創作者



第2章 政治と外部

ルソーは人間が嫌い

カントは巨大

ハンナ・アーレントハイデガーの愛人


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図1.相関図


第3章 二層構造

国家⇔市民社会
政治⇔経済
思考⇔欲望
ナショナリズムグローバリズム

マルチチュードが集まり声を上げれば(デモなどすれば)あとはなんとかなるという信じる力で世の中変わるのか?



第4章 郵便的マルチチュード

自由だが孤独な誇りなき個人(動物)か、仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)かの2択しかない時代

マルチチュードが郵便化すると観光客になる。観光客が否定神学化するとマルチチュードになる。

観光客=郵便的マルチチュード

「人間の条件」⇔その外部
政治⇔その外部
国民国家⇔帝国
規律訓練⇔生権力
正規分布⇔べき乗分布
コミュニタリアンリバタリアン
スモールワールド⇔スケールフリー
これらは同時に生成される

誤配をスケールフリーの秩序から奪い返すことが、グローバリズムの抵抗の基礎だと考える。



第2部 家族の哲学(序論)

第5章 家族

政治を動かすのは、お祭りではなく日常。動員ではなくアイデンティティ

自由意志に基づいた連帯は自由意志に基づきたやすく解消される。

世間では「子どもは親を選べない」と言ったりするが、それは哲学的には不正確である。ほんとうの意味で「選べない」、すなわち偶然性に曝されているのは、むしろ親のほうである。

ある親からある子どもが生まれることには、じつはなんの必然性もない。みな親から見れば偶然なのだ。

すべての家族は本質的に偶然の家族である。言い換えれば、家族とは、子の偶然性に支えられたじつに危うい集団なのである。

だれが家族でだれが家族でないかは、ときに私的な情愛により決められる。

一緒に住み、「同じ釜の飯」を食えば、生と生殖がなくとも家族とみなされる。

たまたま孤児に出会いかわいそうに思ったから養子にする、その柔軟性は、家族がまさに、「憐み」に開かれていることを意味している。

偶然に基づいた家族は、偶然に基づき拡張できる。

現代人は会ったことのない大叔父よりも、飼っている犬のほうを家族だとみなすかもしれない。

家族のメンバーシップは私的な情愛だけで支えることが可能なので、ときに種の壁すら越えてしまう。それは憐みが引き起こした誤配である。

憐れみ=誤配が種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである。



第6章 不気味なもの

ハッカーたちは、資本主義の本質を否定しないまま、反資本主義的な理想をナイーブに語ることができた。言い換えれば、生々しい富への欲望を抱いたまま、無欲な共産主義者であるかのようにふるまうことができた。オープン、シェア、フリーなど、反資本主義的なバズワードを生みだすアメリカ人は同時に多くが億万長者だが、彼らがその矛盾に苦しんでいるようすはない。

サイバースペースとは最初からアメリカの別名にすぎなかった。

不気味さの本質は、親しく熟知しているはずのものが突然疎遠な恐怖の対象に変わる、その逆転のメカニズムにある。

本アカと裏アカの区別はしばしば失効する。

いまやかつてイデオロギーがあった場所はコンピュータに占められ、コンピュータの秩序はかつてのイデオロギー以上にぼくたちを支配している。



第7章ドストエフスキーの最後の主体

社会改革の理想に燃えた人間が、過激な運動を経ていつのまにかニヒリストになってしまう。

リベラリズムの偽善を乗り越え、ナショナリズムの快楽の罠を逃れたあと、グローバリズムニヒリズムから身を引きはがし、ぼくたちは最終的に、子どもたちに囲まれた不能の主体に到達するのだ。それこそが観光客の主体である。

世界は子どもたちが変えてくれる。

子どもとは不気味なもののことである。

親とは誤配を起こすこと、偶然の子どもに囲まれること。

子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。





A Philosophy of the Tourist



Part1 A Philosopy of the Tourist

Chapter One: Tourism

Tourism is phenomenon of modernity.


Supplement: Secondary Derivative Works

We might say that the tourist makes secondary derivative works out of reality itself.


Chapter Two: Politics and Its Other

We need a new philosophy.


Chapter Three: Stratified World

We might say that this is also the stratification between the sphere of humans and animals, or communitarianism and libertarianism. The concept of the tourist is conceived of as new subject who is able to move between these two strata freely.


Chapter Four: Toward a Postal Multitude

Human society mathmatically contains both small-worldness and scale-feeness.

Without misdelivery or pity we have no society, no solidarity.


Part2 A Philosophy of the Famiry: Introduction

Chapter Five: Family

The sense of family sometimes extends beyond the boundaries of species.


Chapter Six: The Uncanny

The subject of an information society should not be described as an avatar in cyberspace but as that being ensconced in the uncanny.


Chapter Seven: Dostoevsky's Final Subject

To Overcome both the individual and the nation, we must stand in the position of a parent within interwined communications of misdelivery and family resemblance. That is the experience of the tourist.



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