「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その17

 人間が世の中を渡っていくようすを見てみると、自分で思っているよりも案外悪いことをし、自分で思っているよりも案外愚かなことをし、自分で目指しているよりも案外成功しないものである。

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ネガティブのすすめ


これくらいの心構えで生きていくほうが楽かもしれません。



 また、人の性質には、賢い・愚か・強い・弱いの区別があるが、それにしても、まさか自分を動物以下の知能の持ち主と思う者はいないだろう。だから、世の中にあるさまざまな仕事を見分けて、これだったら自分でもできると思って、自分相応にその仕事を引き受けるのだ。けれども、実際にやってみると、思いのほかミスも多く出て、最初の目標を誤り、世間にも笑われて、自分でも後悔することが多い。

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仕事だけでなく、人生もこのようなものなのかもしれません。自分でやってみて後悔する。



 田舎の書生で、故郷を出るとき「苦しい思いをしてでも三年の内には学問を修めよう」と思っていた者が、その誓いを守れるだろうか。無理な算段をしてまで買った待望の原書を、「三ヶ月以内に読破する」と思っていた者が、果たしてそのとおりにできるだろうか。志の高いインテリが、「私が政府で仕事をすれば、この事務はこのようにし、あの改革はあのように処理して、半年の間に政府をガラリと変えてみせる」と考えて、再三意見を出した後、ようやく念願かなって政府仕えになったとき、果たして考えていたとおりにできるだろうか。「おれに大金があったら、明日にでも日本全国に漏れなく学校を作って、どんな家の人間でも学問させてやるのになあ」という貧乏学生を、今日、いい縁があったということで三井や鴻池といった大財閥の養子にすれば、果たして言ったとおりのことをやってくれるだろうか。
 この類の夢想は枚挙に暇がない。すべて、物事の難易度と時間の長短を比較できていない結果だ。時間の計算は甘すぎるし、物事を簡単に見すぎている。

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物事を批判するときに、「自分だったらできる」と言っている人は基本的に信用できません。そういうことを言う人は、言うだけで何もできない人です。理想がある人ほど、言う前に行動している気がします。


私は、高い目標を持っても達成できないと思っているので、目標を設定するときはとても低い目標を設定します。


例えば「ブログを毎日書く」という目標は、難しいので設定しません。するなら「ブログを書く」という目標を設定します。ブログを一文字でも書けたら、目標達成です。これくらいがいいです。


今のところブログは毎日更新していますが、いつやめてもかまわないと思っています。いつやめてもかまわないと思っているからこそ、続けることができているのだと思っています。



仕事はノルマとかかせられますよね…。達成できなくてクビになるレベルのものではないにしろ、ノルマをかせられるのは精神的に負担が大きくて嫌になります…。


目標とか嫌い。





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