「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その9

 だから、人として自分で衣食住を得るのは何も難しいことではないのだ。これができたからといって、別にいばるほどのことではない。
 もちろん、独立して生活するのは、人間にとって重要なことであり、「自分の汗で飯を食え」とは、古人の教えではあるけども、私の考えでは、この教えを達成したからといって、人間たるもののつとめを果たしたとは言えない。この教えはただ、動物に負けていない、というだけのことだ。

118p


独立して生活していない人間は動物以下だということでしょうか…。


 およそ、世の中に学問といい、工業といい、政治といい、法律というのも、みな人間社会のために存在するのであって、人間社会がなければ、いずれも不要のものである。

121p


はい。


 以上の輪のように、むかしから能力のある人間には、心身を労して世の中のために事をなす者が少なくなかった。いまこうした人物の心中を想像するに、彼らが衣食住豊かなこと程度で満足する者には到底思えない。社会的な義務を重んじて、高い理想を持っていただろう。

125p


世の中のために事をなすということは利他主義ということでしょうか。利他主義も自分の利益にならないようなことはしないだろうと思うので、本質的には利己主義だと思います。自分の利益のために高い理想を持っていたのだと解釈しています。


衣食住豊かな程度で満足する者がいないのは、人間の欲が尽きないからではないでしょうか。衣食住に満足していれば、それより先の欲望を手に入れたくなる(不老不死とか)欲求の表れだと思います。


まぁこの本は慶應義塾の生徒に勉強のやる気を出させるための自己啓発本なのでこれでいいのかもしれません。


 私が思うに、いま学問をする者は、難しい学問を避けて簡単な学問に向かうよくない傾向があるのではないか。

129p


受験のときに勉強しても成績が伸びないから志望校のレベルを下げたくなるという話を「ビリギャル」でやっていました。つらいものを避けて簡単なものを選びたくなるのは昔からある話のようですね。


 むかし、封建時代には、学者が勉強して得るところがあっても、世間全般が身動きのとれない固定的な状態であったので、その学問を使うべきところがなかった。やむをえず、勉強した上にさらに勉強を重ねた。その学問の方向性はよいものではなかったとはいえ、本を読んでその博識なことは、いま学問をする者がとてもかなわないほどのレベルにあった。

129p


今は2chもブログもツイッターもあるので、博識は至るところで使えますね。いい時代になりました。



 



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