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「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」(洋泉社)官賀江留郎


道徳感情はなぜ人を誤らせるのかというタイトルですが、中身の大半は冤罪事件について書かれています。


正直な感想を言うと、なぜこんなタイトルにしたのか疑問です。


この本はあとがきを含めて525ページありますが、道徳感情が人を誤らせることについて解説してある部分は(私が読んだ限りで)70ページくらいしかありません。内容とタイトルが一致していないのではないでしょうか。


著者の、道徳感情が人を誤らせ冤罪を発生させるという主張はわかりますが、この本は冤罪事件について詳しく書かれた本であり、道徳感情について書かれた本ではないように感じました。


この本において最も価値のある内容は、冤罪が発生したノンフィクションであり、なぜ道徳感情が人を誤らせるのかということではないと思います。できればタイトルを変更していただきたいです。



気になったところを勝手にまとめます

 とくに日本帝国は徴兵率が低く、戦前は徴兵検査を受ける男子のわずか二割だけが軍隊に入るというありさま。日中戦争がはじまってさえ五割という低率、徴兵検査に合格した健康な男子で兵隊にならない者が大量にいるという、国民皆兵とは名ばかりの状態だった。
 一方でまったく兵役につかない者がバブルに浮かれて遊び呆けているのに、何故か日本の軍は少数精鋭主義で、一度兵隊に取られた者は二度三度と召集を受けて戦場に送られるという不公平システムが維持され、不満が鬱積していた。
 これは当時の国力では大規模な軍隊を維持できないこともあったが、それよりも日本の軍隊が受験エリートによる学歴重視組織だったことのほうが大きいと思われる。受験競争を勝ち抜いた秀才だった軍の首脳たちは一般国民の能力を信用しておらず、あくまで少数精鋭にこだわった。国会では議員たちがきちんと国民皆兵にすべきだと軍に要求していたが、東条英機陸軍大臣は、それは確かに理想だが現実的ではないと云って突っぱねていた。


 プロファイリングの第一歩はできるだけ多くのデータを蒐集して整理し、真実に迫ることだと、創始者の吉川技師が実践で示してくれているのに、現代のプロファイリング専門家はその初手で躓いているのである。創始者を忘れ去っていることによって、この最も肝心な精髄が引き継げていないことを図らずも示してしまっているのだ。 


 連続殺人事件が成立する第一の絶対的な要件は、当たり前のようだが犯人が逮捕されないことにある。どれほど狂った殺人鬼であっても、最初の事件ですぐ捕まってしまっては連続殺人を犯しようがない。日本では戦前から殺人事件の検挙率が現在と同じ九五パーセント前後と極めて高く、必然的に連続殺人事件は多くなく、諸外国では殺人事件の検挙率は比較的低く連続殺人事件が多いという単純な図式が成立している。
 海外の著名な連続殺人事件を見ると、真犯人が一度は取り調べを受けているのにシロだと判別されて釈放されているケースが結構ある。好事家だけではなく広く世間一般の人々を悦ばせてベストセラーになったりする海外物犯罪実録本やハリウッドあたりの猟奇的映画の成立、大ヒットの陰には警察の無能という大いなる貢献があるのだ。


 ともあれ、ミッドウェー敗退、ガダルカナルもすでに敗退確実でほぼ戦争全体の大勢は決し破滅が目前に迫っていた戦局を尻目に、国内では呑気に相変わらず勢力争いに明け暮れていたのである。


 文献に残された住民の恐慌はいささか大袈裟ではないかと疑っていたのだが、直接証言を聞くとその恐怖心は底知れぬものだったことが確認できた。事件解決直後に吉川澄一技師が〈浜松事件〉を総括したメモが残っているが、そこにはこのようにある。
「その副産物として、精神病者や自殺者まで出た事件で、司法大臣から特使が派遣されたという類例のない事件」
 恐怖の余り気が狂った者もいたという記述をしている文献もあるが、当時の一時資料には見つからないので話を膨らましているのだろうと考えていたのだが、吉川メモを閲覧できたことで案外に正確であることが裏付けられたのは意外だった。
 そして、なにより驚いたのは、なにも残っていないだろうと思っていたすべての現場に被害者の方やその親族の方がそのままいまでも住まわれていることだ。少しだけ接触を試みたのだが、70年以上の歳月を経てまったく癒えていないことを思い知らされた。己の認識の甘さは慙愧に堪えない。その傷はあまりに深すぎる。


国警と自治警に分かれていた時代だからこそ冤罪事件が多発したなどという、まったく根拠のない話は、おそらく警保局出身の元内務省官僚が意図的に広めたものだと思われる。バラバラに解体された内務省の残党官僚たちにとって、内務省復活こそが最大の使命となっていたのだ。国警と自治警の廃止、一本化された警察庁の設立は、彼らの悲願が達成されたただひとつの成果となったのである。


冤罪に関する記事で憲法問題に触れたものが昔は多かった。むしろ、憲法擁護のダシとして冤罪事件を利用したものがほとんど云っていい。


 だからこそと清瀬は続けるが、警察官は拷問をし、「拷問を受ける容疑者も、容易にこれに対して屈しておる」。また、昭和30年前後は青少年の自殺が極めて多く、実数で現代の5倍以上、年齢別人口比でも3倍以上もあったが、これも自己という人間を尊重できないためだと云う。
 そのため清瀬は文部大臣時代に道徳教育を学校に取り入れるよう唱えたが、戦前の修身を復活するものだと強い批判を浴びた。しかし、この非難は大きな誤解から来ていると説くのである。
「私は昔から昔の修身のような押しつけ主義には反対しておる。私の過去30数年の行動によりご了解を願えるものと思う。私は日本の青年に合理主義、人格主義による道徳を浸透せしめ、成長して公務員の地位についても、拷問のような卑しむべき行為をなさず、また一朝、捕われて、調べを受ける立場に立っても迎合的、屈辱的の態度をとることなく、毅然として気品を失わない人間となしたいものであると願っておる。これが私が本件を弁護して後の感想である」
 旧弊なる文部大臣という当時の清瀬の評価は、これを読めばずいぶんと変わってくるだろう。しかし、自費出版の一年後に出した広く読まれる商業出版に於いて、彼は何故かこの一章を消し去ってしまったのである。


度重なる再審請求がようやく通り、〈島田事件〉は1989年に再審で無罪となっている。しかし、南部氏は再審無罪を見届けることなく、昭和55年11月20日に亡くなった。〈二俣事件〉〈幸浦事件〉〈島田事件〉の冤罪を晴らす大きな力となったことはもちろん、〈浜松事件〉について貴重なる記録を記し、とくに現代にまで続く数々の冤罪を生む元兇となった紅林麻雄警部補の精神過程を解き明かしたことは、後世まで功績として残ることだろう。
 あの吉川澄一技師にさえできなかった冤罪捜査官プロファイリングデータ作成を、南部清松氏は成し遂げてくれたのである。老探偵、最後で最大の仕事であった。


たとえば鬱病は〈自己欺瞞〉能力を失ったために起こるという説がある。実際に鬱病患者は目の前の現実を、自分自身の姿を、ありのまま正しく見ることができると、ローレン・アロイとリン・エイブラムソンの心理実験によって証明されている。鬱病から全快すると〈自己欺瞞〉が戻って自分自身の姿をありのまま正しく見ることができなくなると、これまたピーター・レウィンソンの心理実験によって証明されている。日常生活をつつがなく送るためにはある程度の〈自己欺瞞〉は必要で、いかに制御するかが問題となる。


ちなみに、狩猟採集時代の人間はリスクに臆病なだけでは獲物を捕ることができず飢え死にしてしまうので、正常な者は恐怖を感じるぎりぎりのところまで危険を冒すように、自然淘汰によって性格づけられている。その本能が消えていない現代人も恐怖が足りないと退屈し、サスペンス映画を観たりジェットコースターに乗ったりして、無意味に適度な恐怖を得ることで満足感を覚える。


いまだに古い知識を基に〈サイコパス〉は治療不能と思い込んでいる諸氏がいるが、〈サイコパス〉研究は急速に進んでおり、最近ではある程度治療もできるようになっている。


サイコパス〉とは、精神医学で科学的に定義された疾患である。病気は治すのが1番よい。



本の内容は興味深いものでしたが、本のタイトルと内容が一致しておらず、序盤は読み進めるのに苦労しました。昭和の冤罪事件について詳細に研究されている本なので、冤罪事件について書かれていることがわかるようなタイトルにしてほしいです。



ボリュームの多い本でした…。

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