「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その4

 たとえば、いまの新聞や、あちこちで出される政府への書状や意見書などもその一例だ。出版についての条例は、非常に厳しいというわけではないのに、新聞を見れば、政府の機嫌を損ねるようなことには全然触れない。それどころか、政府が何かちょっといいことをやると、大げさにこれをほめる。まるで、遊女が客に媚びているかのようだ。
 また、その書状、意見書などを見ると、その文章は常に卑屈である。政府をあがめることは神か何かのようで、自分を卑しめることはまるで罪人のようにし、同等の人間世界内での関係ではありえないような、うわべだけの礼儀の文章を書きながら、平然として恥じることもない。
 そうした文章を読んで、それを書いた人のことを思えば、まともな人間とは思えない。

56p


強烈な文章ですね…。今の新聞は必要以上に褒めたりすることはないですが、必要ないことを批判している気もします。新聞であまり批判しないようなことがネットで批判されていることも多いので、昔より意見の多様性は確保されていると思います。


ここに書かれているような、遊女が客に媚びていることはさすがにないですね。新聞は政府に批判的な文章も多いですし、ネットには賛否両論が溢れています。



 要するに、日本には政府はあるが、いまだ国民がいない、といってもいいだろう。

56p


さすがにこれはw



 さて、前節で論じたことがそのとおりなら、わが国の文明を発展させて、国の独立を維持するのは、政府の力のみで実現できることではない。また、いまの洋学者たちも頼みにならない。われわれ自身(洋学を志す慶應義塾の同士たち)の使命であって、まず自分自身から事業をはじめ、愚かな国民の手本となるだけでなく、彼ら洋学者たちの先を行って、その向かうべき方向を示さなくてはならない。
 いま、われわれの社会的地位を考えてみると、その学識はもちろん浅いのだが、西洋の学問に志して久しいのだから、この国の中では中以上のレベルにあるだろう。

57p


全方位に敵を作っていくスタイル



 以上で論じたことは、要するに、今の世の中の学者が、日本の独立を助けようと思った場合、政府の所属となって官として事業を行うのと、政府の所属から離れて官に頼らずやっていくことのメリット・デメリットを比較したものだ。そして、本論は官に頼らないやり方を支持する。

59p


 われわれは何か他意があって「官に頼るな」と言っているわけではない。ただ、普段考えていることをはっきりさせて、これを論じただけのこと。もし、われわれの論を破って、官に頼らないことのデメリットを確証を挙げて述べる人がいれば、われわれは喜んでその議論を受け入れ、世の中を害することはないと思う。

60p


これはいわゆる民間のシンクタンクのことでしょうか。私はシンクタンクがどんなものか詳しくは知りませんが、現代の日本では一般的なものになっていると思います。


もしくは私立大学のことでしょうか。私立大学も一般的なものになっているので、福澤諭吉先生の志は達成されていますね。




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