「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その3

一般的に、アメリカ、ヨーロッパの諸国は、豊かで強く、アジアとアフリカの諸国は貧しくて弱い。この貧富、強弱は国の現実のあり方であって、もちろん同じというわけにはいかない。なのに、ここで自分の国が豊かで強いからといって、貧しく弱い国に対して無理を加えるとすれば、これは相撲取りがその腕力で、病人の腕をへし折るのと変わらない。それぞれの国が本来持っている権理からいえば、許してはならない。

35p


基本的に、強い国は弱い国を搾取しながら豊かな生活を保って、貧しく弱い国に無理を加えているのが現実であって、それを許してはならないと言っても、それは変えようのないことだと思います。


強い国が力を使えば、弱い国は従うしかありません。強い人が力を使えば、弱い人は従うしかありません。これは原理なので変えることはできないと思います。


強い国が力を使わないようにできるならそれに越したことはないですが、そんなことできるのでしょうか。強い国が持っている力を使わないメリットはあるのでしょうか。強い国は力を使って弱い国を従わせるほうがメリットが大きいように思います。


これを変える方法を私は思いつきません。



外国に対してわが国を守ろうとするならば、自由独立の気風を全国に充満させ、国中の人々が、社会的身分の上下を問わず、自分の身に国を引き受けて、賢い者も愚かな者も、物事がよく見通せる者もそうでない者も、それぞれ国民としての責任を果たさなくてはならない。

39p

社会的に下の階級にいる人は戦争で真っ先に死にます。逆に富裕層は死にません。戦争は必ず弱者を殺す!第二次世界大戦が変えた日本の社会構造(橋本 健二) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)



責任を果たせと言っていますけど、偉い人ほど死なないし、偉くない人ほど死にます。責任の重さが違いすぎませんか?


納得できません。



たとえば、いま日本では、平民にも苗字を許し、馬に乗ることも許し、裁判所の扱いも公平になり、表向きにはまず士族と同等ということになったのだが、その習慣はすぐに変わるというわけにもいかず、平民の根性は旧来のままである。言葉も卑屈で、あれこれの対応も卑屈で、目上の人間に対しては一言の理屈も言うことができない。立てと言われれば立ち、踊れと言われれば踊り、その従順なことは、まるでやせっぽっちの飼い犬である。実に無気力の恥知らずと言える。

42p


こういう人材を多くの企業が望んでいるのではないでしょうか。やせっぽっちの飼い犬人間が量産されれば、企業は楽に経営できます。無気力の恥知らずではなく、そうせざるを得ない状況に追い込まれた人間なのだと思います。


この文章をブラック企業の壁にでも貼っておいてほしいですね。(-_-)




gowalk.hatenablog.com