「現代語訳 学問のすすめ」(ちくま新書)福澤諭吉 齋藤孝 を読んだ感想その1


この本は有名な学問のすすめを現代語訳したものです。


訳者は、人間の能力を遥かに超えた早さで本を出版されていることで有名な齋藤孝先生です。テレビでもよく見かけます。


齋藤孝先生のことはきらいではないですし、実際にこの本を執筆されていなくてもかまわないと思いますが、せめてゴーストライターの名前くらいは書いておいてほしいです。


出版業界にもいろいろ事情がおありかと思いますが、ご検討よろしくお願いします。





この本は数年ぶりに読みました。改めて読んでみると、結構強烈な表現も多いように感じました。



中国のことをまったく国としての身のほどを知らないと言っています。これは現代でも通用しそうな言葉ですね。ネトウヨ扱いされるかもしれませんけど。


世の中で学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない。知恵がないのが極まると恥をしらなくなる。自分の無知ゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴するということもある。これは恥知らずであり、法を恐れない行為である。世の中の法律を頼りにして、身の安全を保って社会生活をしているにもかかわらず、依存するところは依存しておきながら、都合が悪くなると自分の私利私欲のために法律を破ってしまうやつがいる。矛盾していないだろうか。

18p


これはおっしゃる通りだと思いますけど、この文書を読むような人はそもそも知恵があると思うので、弱者叩きをしているようにしか感じません。結局、私はそんな恥知らずの行為はしませんと上から目線で宣言をしているだけではないでしょうか。

この時代はこの表現でも良かったのかもしれませんが、今の時代には合っていないと思いました。



何年も苦労し、高い学費を払って西洋の学問を修めたけれども、独立した生活ができないものは、いまの世の中に必要な学問に弱い人間だと言える。こうした人物は、ただの「文字の問屋」と言ってよい。「飯を食う字引」にほかならず、国のためには無用の長物であって、経済を妨げるタダ飯食いと言える。

23p


本当に申し訳ありません。返す言葉もございません。


世の中の悪いことわざに、「泣く子と地頭には勝てない」とか、また「親と主人は無理をいうもの」というものがある。これらを、人権など侵害してもかまわない、といったニュアンスで使うものがあるけども、これは現実のあり方と権理をとりちがえた議論である。

26p

そもそも政府と人民の関係というのは、現実として社会的強者と弱者というような違いがあるだけであって、基本的人権に関してはまったく同等である。

28p


親であろうが上司であろうが国であろうが人権を侵害してはいけないし、人権を侵害されるような行為を受けた場合は、どんな相手であろうが反抗してもかまわないという意味だと思います。

これからは、人権侵害されたと感じたら「福澤諭吉学問のすすめで言っていた」というセリフで人権を主張していこうと思います。( ̄ー ̄)ニヤリ





時間をかけて読みたくなったので、何回かに分けて感想を書こうと思います。



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