「誰も調べなかった日本文化史」(ちくま文庫)パオロマッツァリーノ

気になったところを勝手にまとめます。

 もしその人に誠意があるならば、「誠意があるか。」と問うことは、その人に対して非礼である。
 もしその人に誠意がないならば、「誠意があるか。」と問うことは、その人に対して全く無意味である。


 自分に対して土下座せよと命じているということは、その人は庶民の分際で、自分は天皇よりエラい存在であると宣言しているも同然です。身の程をわきまえましょう。
 ともあれ明治期までは、土下座というのは宗教儀式として行われるか、もしくは、高貴な人やかなり偉い人のみに向けられた、恭順や畏敬の念をあらわす礼法でした。庶民が謝罪のために軽々しくやったり、選挙の票集めのためにしたりといった安っぽいパフォーマンスではなかったことは、たしかです。


最新版の国語辞典ではほとんどが、土下座の定義として、もともとは貴人が通る際にしていた礼だが、現在では謝罪や懇願の目的で使われる、みたいな感じの説明をしています。


ホンモノの裸族にとっては、裸でいることがあたりまえなので理論武装する必要などまったくありません。裸がタブーとされる文明社会に暮らしているから、なにかもっともらしい理屈をひねり出して自分の行動を正当化せずにはいられないのです。理由がないと安心できない。理由があればすぐに納得する。なんにでも理由を求めるのが、文明人の病。


ストリーキングが流行り、全裸が一躍世界中の注目を集めた。


冷房の普及により、サラリーマンがネクタイをするようになった。


むかしの都会人は道を歩くとき、クルマのみならず牛にも気をつけねばならなかった。


昭和初期には牛車のひき逃げ事件が起きている。


明治天皇が健康のために毎日牛乳を飲んでいることが伝えられると、にわかに健康食品としての牛乳に注目が集まった。


超高温瞬間殺菌よりも低温長時間殺菌の牛乳のほうがおいしい。


国や世界なんて大きなものは、めったなことでは滅びないのだから、他の人にまかせておけばいいんです。もっと身近なもの、自分の身の回りの人や家族やご近所など、滅びやすいものが滅びないよう、努力をかたむけるべきです。


現在に不満な人は、未来に期待せず、過去を美化して懐かしむのです。歴史の中でもっとも捏造されやすいのは、庶民史と文化史なんです。



著者は過去の新聞記事から、昔の常識や今の常識のおかしさを指摘しています。昔の新聞は占いをやっていたり、一面がすべて広告だったり、今の常識では考えられない記事が載っているようです。


本を読むかぎり、今も昔も人間が考えることは変わらないと思いました。変な人はいるし、悪口は言うし、「笑いの絶えない家庭にしたい」とみんなが言う。


100年とか200年くらいでは、人間の思考はあまり変わらないのでしょう。紀元前に生きていた哲学者の本を読んでも、共感できるものがありますからね。本質的なものは変わっていない。




本の中で土下座について書かれていましたが、土下座は最近見かけなくなったと思います。私も見ていて気分の良いものではなかったので、無くなってうれしいです。テレビでやらなくなっただけで、見えないところで発生しているのかもしれませんが…。





昔はよかったという人がいますが、過去より犯罪件数は減っているはずだし、移動はし易くなっているはずだし、ご飯も美味しくなっていると思います。昔より今のほうが良い事はたくさんあるのではないでしょうか。


最近みかけたニュースで、今の20代は平均寿命100才をこえるようになると書いてありました。寿命が伸びて幸せになるのかどうかは分かりませんが、人が死ににくくなるのは良いことだと思います。



面白い本でした。