本当の自分はどこにいる? 「私とは何か「個人」から「分人」へ」平野啓一郎

この本は著者の分人という考え方について書かれた本です。




よく「本当の自分は~」とか「本当のあいつは~」とか「本当のあの子は~」という表現がコミュニケーションの中でよく現れると思いますが、「本当の自分をどう考えるか」というのがこの本のテーマになっています。



著者は、本当の自分というのは実態がないもので、他者との関係性の中で変化し得るもの、と言っています。


あらゆる人格を最後に統合しているのが、たった一つしかない顔である。逆に言えば、顔さえ隠せるのなら、私たちは複数の人格を、バラバラなまま生きられるのかもしれない。


私は、ブログとTwitterをしています。両方ともネットに文字を入力して公開する作業なので、基本的にやっていることは変わりません。しかし、ブログに記事を書いているときの自分とTwitterでつぶやいているときの自分は何かが違います。



ブログは文字数の制限がなくてTwitterはある、とかそういったものではなく、精神的なものです。人格が異なっている気がします。



真剣度が違うというか、集中力が違うというか、精神的な負担が違うというか、なんというか表現に困りますが、同じ私なのにも関わらず、異なった面を出しているように感じます。



これは、著者の理論で言うところの「分人」だと思います。



ブログはストックでTwitterはフロー、ブログはアーカイブしやすくTwitterは即時性がある、ブログを読む人はブログを書いている人が多くTwitterを見る人はTwitterでつぶやいている人が多い。



こういった特徴の違いから、異なった自分が表現されているのだと思います。関係性の中で変化しているのだと思います。



私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない。


私が以前読んだ「弱いつながり」東浩紀 でも同じようなことが書いてありました。実は「弱いつながり」の中でもこの本についてさらっと触れられていました。書評はこちら↓
gowalk.hatenablog.com





著者は、人格そのものの半分は他者によってできているから、ネガティブな分人の半分は相手のせいである、と言っています。



これは、すごく面白い考えだと思いました。この考え方は忘れないようにしようと思います。






この本は、他者との人間関係に悩む方に1つの答えを出してくれたのではないかと思います。



比較的読みやすい本だと思います。オススメします。



「私とは何か「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書平野啓一郎

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)