会話のバイブル「頭がいい人、悪い人の話し方」樋口裕一 を読んだ感想

「頭がいい人、悪い人の話し方」(PHP新書)樋口裕一


この本は、知性のある喋り方、知性を感じられない喋り方について書いた本である。


著者は小学生から社会人までを対象にした小論文・作文の指導をしている。文章指導についてはプロであるが、会話には苦手意識を持っていて、内向的で、口下手で、人前では気後れし、頭の回転は速くなく、しばしば人に言い負かされる。


そんな著者は、会話と文章に共通点が多いことに気づく。愚かな文章は愚かな話し方と同じである。文章添削の技術は会話添削に応用できる。





人は会話によって相手の知的レベルを判断する。学校であれば試験があるが、社会に出ると試験で人の賢さを測ることは少なくなる。よって、愚かな話し方をしている人はバカに見える。よほどのことがない限り、挽回の場面はない。


つまり、挽回するためには知的な話し方を身につけなければならない。日常会話のせいで「実力を評価してもらえない」「軽く扱われる」こんな状況になってしまうのは悲しい。


著者いわく、話し方でバカに見える人は実際仕事ができない。そういう人は仕事だけでなく、プライベートで付き合ってくれる人もいなくなってしまうという寂しい生活になりかねない、と言っている。


ただ、話し方は心がけで改善できる。まずは表面的に愚かに見えないように注意するうち、実際に知的になってくる。多少生まれつきの頭脳は劣っても、知的に考える習慣を身につけたら、知的に思考することができるようになる。話し方は「思考の習慣」である。




いくつかまとめると

難解な言葉を使って煙に巻くのは良くない。知識を見せたければ用語でごまかさずに、内容の深いことを言うように努力するべき。


あら探しばかりする人間は愚かである。コミュニケーションというのは、お互いを認め合ってこそ成り立つ。批判するにしても、相手の努力を認め、その長所を認識した上のものでなければいけない。


自分のことしか話さないナルシストは愚かである。その種の人が話し始めたら「そういえば、私も……」とさえぎって、別の話に持っていこう。自分の話がしたくてたまらない人は、エッセイを書こう。ウェブで自分の話をしても、誰にも被害を与えない。


何かにつけて低レベルの解釈をする人がいる。「あの人、威張りたくて、人を叱っている」「お金がほしくて、こんなものを作っているんだ」「女がほしいんだろう」「趣味がいいと思われたいんだ」「尊敬されたいんだ」もちろん、そうした解釈が当たっている場合もある。しかし、人の行動を見てそう解釈するということは、自分がそうなりたいと常に考えているということだ。人間は単純な欲望だけで動いていない。高慢な理想に基づいていると解釈するほうが、知的である。


誰にも文句のいいようのない正論を振りかざす人がいる。「人と人は助け合わなければならない」「国際平和のために貧しい人を助けなければならない」「ボランティアをするべきである」それは正しいが、人間は弱さを持っている。悪い心もある。自分の中に誘惑に負ける気持ちがあることを認め、その上で清廉潔白であってこそ、知的である。こういう人には「面倒だけど大事な仕事」を任せるべきである。


善人になりたがる人は愚かである。もちろん、誰も悪人になりたいと思わない。人間は欲望に駆られる。誘惑に負ける。血も涙もある。他人に対して優しくしたい。だが、社会では厳しくしなければいけないとき、抗議しなければいけないとき、怒らなければいけないときがある。本当に優しいわけではなく、他人の心を傷つけることを恐れているだけで、人にいい顔していたいだけである。知的に生きるには、みんなにいい顔をしていられない。場合によっては、友達にも厳しい態度を示す必要がある。そうしてこそ、信頼を得られる。





この本の素晴らしいところは


愚かな話し方の人間の例

周囲の人間の対策

自覚させるにはどうすればいいか


が書いてあるところだと思います。


40パターンの愚かな人間が例に挙がっていて、その全てに対策が書かれているのですごいと思いました。話す側の立場としても読むことができるし、話される側の立場としても読むことができます。


本を読んだ人は、こんな人間にならないように気をつけますし、こんな人間に出会った場合でもきちんと対処することができます。


さすが、200万部以上売れているベストセラーだと思いました。


とても参考になる本でした。