「限界集落の真実」山下祐介 のまとめと感想

限界集落の真実」(ちくま新書)山下祐介


一時期メディアで、「限界集落が危ない」とメディアが声高に叫んでいたのに、最近まったく聞かなくなった印象がありました。


限界集落は、本当のところどうなっているのか、気になったので読みました。


まとめると、


限界集落はメディアの情報戦略によってつくりあげられたが、実例はない

高齢化による集落消滅は存在しない。あるのは挙家離村などで、発展性がある。

過疎地域は(太平洋ベルトからほどよく近く、ほどよく遠い、山脈の向こう側の山村に)先進地域がある。

過疎地域は、戦後日本の急速に発展した経済の裏で、急速に衰退した産業に携わっていた地域。

問題になっている過疎集落のほとんどは長い歴史の中ではむしろ、生きていくのに効率的・合理的である。

青森の鰺ヶ沢は住民がお金を出し合ってバスを開通させた。

その地域に住んでいる人は、不便であろうと、その地域がかけがえのない素敵な場所なのである。

過疎対策は(集落発で始まり、集落着で終わる)ものでなければならない。

(むらをキャパシティ以上の大きさにしない)というのは半世紀前までは当たり前であった。

大量の人口生産・経済発展・農林漁業の科学化合理化、によって日本の人口が増加し、①むらを守る人②むらの周辺でとどまる人③むらから遠く離れ迷惑をかけずに生きる人が生まれた。今は②③の子どもが都市で生まれ、都市で生活している。

都市は個人でどうこうできないが、小さな地域社会(むら、町、小都市)は数人で人を動かし、社会を変える。





そもそも、限界集落論は政治絡みで、メディアの情報戦略によってつくられたものだそうです。あと、省庁間の予算の取り合いにも使われていて、実際の過疎地域で生活する人々から無関係な場所で議論が起こっている。らしい。


昔はよくメディアで取り上げられていたのに、最近見なくなったのはこれが理由だったということです。過疎地域で生活している人々から発信されていたのであれば、もっと長くメディアで取り扱っていたでしょう。しかし、発信元が政治関係者なので、息が短かった、ということですね。



ただし、この問題は完全な虚構とは言い難く、今後起こる可能性はあって、考える必要はあるようです。


本の中で、集落存続の問題は医療倫理の問題と似ている、という例えが非常にわかりやすかったです。


不治の病にかかっている患者の、生命維持装置を外すか外さないか決めるときに、決定を下すのは、当事者と家族である。
経済合理性を考えれば外すべきであるが、治療法の解明によって、延命できる可能性もある。


集落の問題は集落で解決を模索するべきであって、他人が勝手に決めるものではない。



本では他に、集落が行っている取り組みや、再生のプログラムについて書いてありました。



限界集落に対する理解が深まる本でした。