死刑制度に賛成だったけど、反対に変わった

私は、死刑制度に賛成でした。


【人を殺した人】が、社会(檻の中も含む)で生きていることが許せなかったからです。


【人を殺した人】は、法律に基づいた裁判によって裁かれ、懲役もしくは死刑の罰を与えられます。与えられる刑罰は、様々な観点から判別され、死刑を言い渡された人は死刑囚となります。


殺された被害者の遺族の方々は、きっと死刑囚に死んでほしいと思っていて、私も死刑囚に対して同じ想いである、と思っていました。


人を殺した罪は、自らの生命をもってでしか償うことができない。


そう思っていました。




が、変わりました。



死刑制度について、ネットの動画や記事を読んでいて、死刑制度に反対になりました。


ただ、はっきりと変わった訳ではなく、6:4くらいの気持ちです。遺族の方々の代わりに、加害者に死刑という罰を与えるべき、という気持ちが完全に消えたわけではありません。


しかし、死刑囚を殺しているのは、実質、私自身である。と思うようになりました。


それで、死刑反対になりました。



日本は、民主主義の国です。国民によって法律がつくられます。


死刑制度は国民に支持されています。国民の総意によって、死刑囚は死刑になります。


つまり、日本社会による(日本国民による)殺人が死刑制度と言えます。


私は、人を殺したくありません。


できるだけ人の死なない世の中が良いと思っているからです。


なので、死刑制度反対になりました。


私の中で、自分自身が殺人を犯したくない気持ち、遺族の方々の想いを汲み取りたい気持ち、が混じっています。


それでも、殺人を犯したくない気持ちが強いので、死刑制度反対です。





死刑制度は世界的に廃止の風潮があるようです。


ヨーロッパでは殆どの国が廃止になっていますが、アジアではそれほど多くありません。


死刑制度は文化的な背景も大きく影響を与えるため、世界的に廃止の流れ、といっても日本は賛成が多数派です。


人口の多い国ほど死刑賛成の国が多いため、死刑によって亡くなる人の数は減っていないそうです。


世界一人口の多い中国は、世界一死刑執行者数が多い国です。




昔、ナチス・ドイツは大量に人体実験を行っていました。その成果によって世界トップの医療大国となりました。現在も医者のカルテにドイツ語が用いられているのはそのためだそうです。


今、中国では「法輪功」という宗教に弾圧をかけています。「法輪功」の宗教を信仰している人々を、暴行し、拘束し、臓器を抜き取っているらしいです。そのため、中国の医療技術が急速に発展しているそうです。

薬に関しても、日本では「治験」というものがあり、人間に対して薬の効用を調べるときはかなり慎重に行われますが、中国では、貧困地域に製薬会社が行き、動物実験をあまりしていないような開発中の薬をいきなり人間に試す、ということをしているそうです。貧困層はお金に困っていますし、出生届も出さない人達なので、低コストで、国にバレずに、薬の人体実験ができます。

人の犠牲者が多いほど、医療技術が進歩しやすいのは間違いありません。




この話の流れだと、死刑囚を人体実験に使うべきだという考えを持っているのかと思われるかもしれませんが、違います。さすがに、死刑囚でも人体実験に使うのはやり過ぎだと思います。


私は、死刑囚に死刑を執行する代わりに、徹底的に精神分析と教育をするべきだと思うのです。


死刑囚がなぜ殺人を犯したのか、なぜ犯さなければならなかったのか、殺人欲求がどのように生まれて、どのように育ったのか、精神を徹底的に分析することによって、これから生まれてくる殺人者を抑止することができると思うのです。


さらに、教育によって死刑囚の考え方を変え、加害者・遺族の方々に対して懺悔の念を抱かせることができれば、死刑による罰を与えるよりも良いのではないかと思います。


教育によって考え方が変わらない場合もあると思います。しかし、何事も失敗はあります。全てが完璧とはいきません。(遺族の方々は憤るかもしれませんが)教育の失敗も、未来のための糧となります。




死刑制度の是非は今後も議論になると思います。


注視していこうと思います。