なぜ人はゲームにハマるのか(SBクリエイティブ)渡辺 修司 中村 彰憲

引用と感想

ゲームの定義は技術によって変化する。

ゲームを定義することは難しいことのようです。さやわか氏は著作「僕たちのゲーム史」の中で、ゲームとは「ボタンを押すと反応するもの」という定義をしていました。これも、必ずしも正しい定義ではないのかもしれません。ボタンを押さないでも反応するゲームはありますからね。技術によって変化するという定義が正しいのかもしれません。

ゼビウス」によって世界観とストーリーを設定することが主流になった。

ゼビウスはプレイしたことがないので詳しくはわかりませんが、世界観とストーリーはゲームを盛り上げる要素として重要だと思います。

サイトウ・アキヒロにより、ユーザーインターフェイスに関するノウハウは体系化された。これはゲームニクスと呼ばれている。

ゲームニクスという言葉を初めて知りました。最近のゲームはゲームニクスに基づいて作られているものが多いようです。

三人称視点は、ゲームで身体の役割をするキャラクター(拡張身体)から考えても、明らかに別の位置から見る視点でである。しかし私たちの脳は、その視点を習得することができる。これは「脳による視点の再学習」と言える。

この本で一番興味深かったのが拡張身体という概念です。マリオであっても、テトリスであっても、”自分の身体をゲーム上の対象物に拡張させて動かしている”らしいです。

ゲームを作る行為は、「現実世界とはまったく異なる世界を新たに作り出す」ことではなく、現実世界の人間の身体の特性、また世界や作用空間の特性との相互関係を理解し、その理解を基盤として、プレーヤーにとって分かりやすい形に抽象化された身体や世界を提供すること。

これは意外でした。現実世界と異なる空間を作り出すものだと思っていましたが、違うようですね。

人は少しだけ難易度が高い方向を目指す

ゲーム制作において難易度バランス調整は最終段階に行うが、難易度バランスをどのように提供するかは、ゲーム企画そのものに直結する重要な要素である。

ゲームは、ゲームデザイナーが想定しない効率予測を、プレイヤーが発見する可能性を常に帯びている。

TASのfastest crashやマリオのロースコアクリアなどの縛りプレイがまさにそうですね。



最後に

勉強になる本でした。「ラピッドリバー」という川下りゲームが本の中に出てきて、小さいころゲームセンターで見かけた記憶がよみがえりました。(゚∀゚)



本の追加解説ページ
online.sbcr.jp

火花 (文春文庫)又吉直樹

面白かったです。

商品の説明

売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。

Amazonより引用

感想(微妙にネタバレあり)


私は純文学をあまり読まないので、純文学的な面白さに関してはよくわかりません。ですが、ところどころに出てくる独特な表現を面白いと感じることができました。特に始まりの文章

大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。

はとても美しい文章だと思いました。



この小説は、売れている芸人が芸人を描いた作品になっています。主な登場人物である徳永と神谷は2人とも芸人で、ストーリーのいたるところでボケと突っ込みを繰り広げます。売れている芸人が芸人のことを書いたから面白かったのか、又吉直樹氏の文章力がすごいから面白かったのかどうかわかりませんが、ストーリーの中にちりばめられたボケと突っ込みのやり取りはクスッとくるものも多かったです。

「会話になってもうとるやんけ」




最後は悲しい終わりだったのですが、個人的にあの終盤のストーリーは凶悪なバッドエンドだと思いました。神谷の選択した行為の意味がまったくわかりませんでした。人が亡くなるとかそういった一般的なバッドエンドとは異なる、新しいバッドエンドを見せられて、戸惑いと感動を覚えました。理解できない人間の奇妙さに、嫌悪感を抱きました。


中盤までは神谷のことを理解できる気がしていたのですが、終盤のあの行動は本当に理解できませんでした。これまで言ってきたことと逆の行動を自分で正当化していて、まったく共感できませんでした。あの終盤の行動で、神谷のことが嫌いになってしまいました。

こいつは何を考えているのだろう。

最後に

面白いので、読む価値あります。文庫化されて安くなってます。GW文春祭りセールで、50%ポイント還元になっています。(2017年5月4日(木)23時59分(日本時間)まで。)


「地下室の手記」(光文社古典新訳文庫)ドストエフスキー 安岡 治子

 言うまでもなく、友人たちとの親交は長続きしなかった。あっという間に仲違いし、若気の至りでまるで絶好でもしたように連中に挨拶することさえ止めてしまった。もっとも、そんなことは、たった一度きりのことだったのだが。そもそも俺は、いつも一人ぼっちだったからな。
 家ではもっぱら読書三昧だった。外からの刺激で、己の内に絶え間なく煮えたぎっているもののすべてをなんとか抑えこみたかったのだ。そして俺にとって実行可能な外からの刺激と言えば、読書しかなかったのである。もちろん読書は大いに役に立った。興奮も、喜びも、苦しみも与えてくれた。しかし、恐ろしいほど退屈な時もあった。
95,96p


虚しくて悲しい小説でした。



主人公がとにかく嫌われる人間で眉をひそめたくなる行動や、あきれてしまうような発言ばかりします。ここまで性格が曲がってしまっている理由はよくわかりません。犯罪を犯すわけではないのですが、モラルの欠如がはなはだしいです。ほんとうにどうしようもないだめな人間です。


誰しもこの主人公と同じような一面を持っていると思いますが、この主人公ほどひどくはないでしょう。


なぜこんな人間になってしまったのでしょうか。なぜこんな人間なのでしょうか。


生きていることが不幸であるかのような生活。


私が考えるに、この主人公は何をしても怒るのだろうと思います。怒ることに理由があるわけではなく、理由もなく怒ってしまう。プライドが高いけど、何もできないダメなやつ。


友達もいない、出世もしない、恋人もいない。貧乏で、卑屈で、プライドが高い。常にイライラしていて、頭の中で嫌いな人間に仕返しすることを考えているけれど、臆病なのでできない。頭の中では他人を見下しているけれど、態度に示せない。誇大した自己に耐えられず、暴言を吐いてみるけれど、相手にされない。暴言を吐いても相手にされないので、さらにイライラする。





私は、すべての人間が幸せになってほしいと漠然と願っていますが、この主人公のような人間を幸せにする方法は思いつきません。このような人間を救ってくれる人間(社会)は存在するのでしょうか。


そもそも、この主人公にとっての幸せはどこにあるのでしょうか。


もしかしたら、この主人公は「怒ること」自体が幸せで、それ以外の行動に自分の価値を見出せなくなっているのかもしれません。仮にそうであったとしたら、この主人公を救うことはできないのかもしれません。救おうとするだけ無駄で、常に犯罪予備軍として社会から監視され、管理される立場で居続けなければいけない存在なのかもしれません。このような人間は存在している理由もなく、存在している価値もなく、邪魔な存在でしかないのかもしれません。誰の利益にもならないし、迷惑ばかりかける。


私はこの主人公の人間としての価値を見出せませんでした。




しかし、社会にはこのような人間が存在していて、今もどこかで生きているのでしょう。



そんなことを考えると、虚しいですね。



とにかく虚しい本でした。



「イデオロギーの崇高な対象」(河出文庫)スラヴォイ・ジジェク 鈴木昌

気になったところを勝手に引用します。


われわれは、根源的解決をめざすという意味では「根源的」であってはならない。われわれはつねに借り物の時間の中で隙間に生きているのであり、すべての解決は暫定的・一時的であり、いわば根源的不可能性を先延ばししているだけである。

No.207

潜在的な夢思考」には「無意識的」なところなど何ひとつない。

No.282

この欲望の唯一の場所は「夢」という形態の中である。夢の真の主題(無意識的な欲望)は、夢の作業の中に、すなわち夢の「潜在内容」の加工の中に、あらわれるのだ。

No.309

交換過程の社会的現実性は現実の一部であり、それに参加している人間がそれの本来の論理に気づかない場合にのみ存在しうる。すなわち、その存在論的整合性が、その参加者たちのある種の非知を含んでいるような現実である。もし人が「よく知っている」ようになり、社会的現実の真の機能を見抜いたならば、この現実は霧散してしまう。

おそらくこれが「イデオロギー」の基本的次元である。イデオロギーはたんなる「誤った意識」、つまり現実の幻覚的表象ではなく、その現実そのものである。それはすでに「イデオロギー的」なのだ。「イデオロギー的」なのは、参加者がその本質を知らないことを前提としているような社会的現実である。すなわち、その再生産のためには人間が「自分が何をしているのか知らない」ことを前提するような、社会現実性である。「イデオロギー的」なのは、(社会的)存在の「誤った意識」ではなく、その存在そのものである。その存在は「誤った意識」に支えられているのだから。

No.475

「かならず人間どうしの相互関係としてあらわれるのではなく、人間どうしの社会関係が物どうしの社会関係の形によって偽装される」── これが、資本主義社会に特有の「転換ヒステリー」の症候の正確な定義である。

No.608

真の悪とは、この世界に悪しか見ない無垢なまなざしである。

No.625

人は貨幣を使うとき、そこには魔術的なところなど何一つないことをよく知っている。貨幣はその物質性において社会的諸関係の表現に他ならないのだ、と。日常的な自然発生的イデオロギーは、貨幣を、「それを所有する者は社会的産物のある一定部分にたいして権利がある」ということを示すたんなる記号に還元してしまう。それで、日常的なレベルでは、人は、物どうしの関係の背後には人間どうしの関係があるのだということをよく知っている。問題は、彼らの社会的活動そのものにおいて、つまり彼らがやっていることにおいて、彼らは、まるで貨幣がその物質的現実性において富そのものの直接的具現化であるかのように活動しているということである。彼らは、理論上ではなく実際的に、物神崇拝者なのである。彼らが「知らない」こと、彼らが誤認していることは、かれらの社会的現実そのもの、つまり社会的活動 ── 商品の交換という行為 ── において、彼らが物神的な幻想に導かれているということである。

No.727

イデオロギーは、われわれが堪えがたい現実から逃避するためにつくりあげる夢のような幻想などではない。イデオロギーはその根底的な次元において、われわれの「現実」そのものを支えるための、空想的構築物である。

No.1095

イデオロギーの機能は、われわれの現実からの逃避の場を提供することではなく、ある外傷的な現実の核からの逃避として、社会的現実そのものを提供することである。

No.1101

ラカンの見方によると、もっとも「狡猾な」イデオロギー的手続きは、永遠化などではなく、むしろその反対物、すなわち速すぎる歴史化である。

No.1219

もし速すぎる普遍化が、その歴史的かつ社会-象徴的決定からわれわれの目をそらすための似非普遍的イメージを生み出すとしたら、速すぎるえ歴史化はわれわれを、さまざまな歴史化/象徴化を通じてつねに同じものとして回帰する現実の核にたいして盲目にするのである。

No.1226


もっと引用したかったのですが、制限があってできませんでした。「出版社がこのタイトルに設定したコピー制限に達しました。」という表示がでてきました。著作権で、コピーできる分量が決められているようです。







この本に興味のある方はこちらのサイトの解説を読まれるとよいと思います。私がコピーできなかった図が描いてあります。

ラカン理論のインストール手順 3 | OVERKAST ROUGHKUT







内容は面白かったのですが、完全に理解するのは難しそうですね…。誰か分かりやすく解説してくれないかなぁ。


【Unity】androidの実機にBuild And Runできない


↑これの100ページ、Android端末で実機検証を行う項目でつまづきました。


何回Build And Runしてもエラーばかり


f:id:gowalk:20170404182129p:plain

Build failure

Unable to list target platforms. Please make sure the android sdk path is collect. See the Console for more details. See the Console for details.


f:id:gowalk:20170404182523p:plain



Android SDK

C:\Users\(名前)\AppData\Local\Android\sdk

にあるので、このパスで問題ないはずなのだけれど、エラーが出続けたのでAndroid SDKをDocumentsフォルダに保存することにしました。

  • 公式サイトから、コマンドラインツールのみをダウンロードして、ドキュメントフォルダに保存
  • パスをC:\Users\(名前)\Documentsに変更

したらうまくいきました。(約2日かかったけど)




そのあと、別のエラーがでてきました。


f:id:gowalk:20170404174129p:plain

Unable to install APK!

installation failed , See the Console for details.


原因は、「BuildSettings >Player Settings… > Other Settings > Minimum API Level」の設定ミスでした。


f:id:gowalk:20170404174438p:plain


実機のAndroidが6.0に対応していなかったので、エラーがでていたようです。Android4.0に変更したところ、問題なく実行できました。(気づくまで1日かかったけど)





AndroidでUnity動くまで3日かかった…。( ;∀;)


3日は長すぎる…。






ほかに、動かない場合の対策は、

  • Install LocationをAutomaticにする
  • Bundle Identifierを変更する
  • 実機に対応したドライバーを入れる


などなどあるようです。
















ブログ訪問ありがとうございます(=゚ω゚)ノ